【中原中也 詩の栞】 No.40 「渓流」(『都新聞』昭和十二年七月十八日より)

渓流(たにがは)で冷やされたビールは、
青春のやうに悲しかつた。
峰を仰いで僕は、
泣き入るやうに飲んだ。

ビシヨビシヨに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、
青春のやうに悲しかつた。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云つた。
僕も実は、さう云つたのだが。

湿つた苔も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかつた。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流(たにがは)の中で冷やされてゐた。

水を透かして瓶の肌へをみてゐると、
僕はもう、此の上歩きたいなぞとは思はなかつた。
独り失敬して、宿に行つて、
女中(ねえさん)と話をした。

              一九三七・七・一五

   

【ひとことコラム】点描される人の姿も合わせて、全てが流れる水を通して見ているように揺らめき、どこか気遠く感じられます。この詩を書いた頃の中也は、関東での生活に別れを告げる決意をしていました。人生の一時代の終わりを自覚した詩人の感慨が端々にまで沁みとおっている佳品です。

中原中也記念館館長 中原 豊

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