ニューソウルを代表するレジェンド、ビル・ウィザースの傑作ライヴ盤『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』

『Live At Carnegie Hall』(‘73)/Bill Withers

今回はブラックミュージックから選んでみた。普段はフォーク、ロック、カントリー、ブルーグラス…等を守備範囲としている自分にとって、これまた専門外の音楽を紹介しようとしているわけで、頓珍漢なことを書いていると思われたら誠に申し訳ない。だけど、門外漢な私でも、これは素晴らしいと思うアーティストが何人もいる。ダニー・ハザウェイ、ニーナ・シモン、カーティス・メイフィールド、クラレンス・カーター、スライ・ストーン、マーヴィン・ゲイ…。いずれもR&B;、ソウルといったカテゴリーで語られる人たちだと思うが、私の場合はあくまでブラックミュージック界における、彼らのシンガーソングライターとしての部分に惹かれていたりする(もちろんパフォーマーとしての魅力も)。そうした視点からピックアップしてみたのがビル・ウィザースであり、彼の傑作ライヴアルバム『ライヴ・アット・カーネギーホール(原題:Live at Carnegie Hall)』(’73)を選んでみた。ちょうど、これを書いている7月4日(アメリカ独立記念日)がウィザースの、存命なら84回目の誕生日だった。

ビル・ウィザース(Bill Withers)は1938年にウェストバージニア州スラブフォーク(Slab Fork)というところで生まれている。グーグル・マップで調べてみたのだが、そこはアパラチア山脈が貫くエリアにあって、ほんのわずかな集落があるくらいで近辺には何も商業施設らしきところも見当たらない村である。今もそうだが、ウェストバージニアはアフリカ系アメリカ人の居住人口はさほど多くない。2010年の調査でも白人93%に対し、黒人は3.4%、プア・ホワイトと呼ばれる保守的な白人が多く暮らす地域で、彼と家族はあまり裕福とは言えない生活を送ったに違いない。12歳で父を亡くし、高校卒業と同時に彼は海軍に入隊し、9年間を過ごす。除隊後ロサンゼルスに住み、様々な職を転々とし、牛乳配達や飛行機の部品工場で生計を立てていた。

60年代から音楽活動を始めたとされるが、後に彼が評価されるようになるソングライティングや詩を誰かに習ったとか、正式な音楽教育を受けたという情報は得ていない。彼のポートレイトでもよく目にするように、アコギを爪弾きながら独自に曲を作っていたのだろうか。そんな彼がどうやって、ブッカー・T・ジョーンズと知り合い、彼率いるMG’sの連中、そして不在だったスティーブ・クロッパーの代わりにスティーブン・スティルス、さらにジム・ケルトナー(Dr)らを呼んで1stアルバムの制作にこぎつけたのか。ほとんど奇跡的な話だと思うが、兎にも角にもウィザースのデモテープを聴いたブッカー・T・ジョーンズはその才能に驚愕し、レコーディングセッションをコーディネートしたというわけだ。そのデビュー作『Just As I Am』(’71)はいきなりR&B;チャート9位、ポップ・チャートでもTOP40入りのヒットを記録し、シングルカットされた「Ain’t No Sunshine」もウィザースのキャリアを代表する一曲になる。翌年に発表した『Still Bill』(’72)はウィザースの評価をさらに高めるものとなり、R&B;チャートでは1位、ポップチャートでも4位を記録する。また、アルバムの1stシングル「Lean On Me」はアメリカ音楽史上長く愛唱されるアンセムソングになる。こうした人気絶頂のタイミングで企画されたのが『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』(’73)だった。前2作からの彼の代表曲が散りばめられ、時の大ヒット「Ain’t No Sunshine」「Lean On Me」「Grandmas’s Hands」等を軸に据えたアルバムはベスト盤的な聴き方もできるので、これからウィザースのアルバムを、とお考えの方にもおすすめできるだろう。なお、チャートアクションでは先の『Just As I Am』や『Still Bill』ほど振るわなかったものの、後にローリング・ストーン誌が選ぶライヴアルバム50に選ばれている点は注目に値する。

鉄壁のバック陣とともに 熱唱するウィザース

クラシックからポピュラー、フォークやカントリー、ブルース、ジャズ、ブルーグラスまで、優れた音響効果で数々の名盤の録音現場にもなっているカーネギー・ホールだが、筆者も一度だけチーフタンズの公演で会場を訪れたことがある。内部はオペラハウスのようなボックス席も備えた美しく、素晴らしい音のホールだったことを覚えている。1972年10月6日の雨の夜、ウィザースは万来の拍手の中、舞台に登場する。ジャケット写真に見られるように、座ってアコースティック・ギターを弾くウィザースのバックに、シンプルにバック陣が控えている。メンバーはBill Withers(Vo、Gt、Pf)以下、Benorce Blackmon(Gt)、Melvin Dunlap(Dr)、Ray Jackson(Pf)、James Gadson(Dr)、Bobbye Hall(Per)という、『Still Bill』(’72)と同じラインナップで、他にホーン&ストリングスが控えている。

ちなみに、核となる5人のメンバーは「ワッツ103rdストリート・リズム・バンド」という8人からなるファンクバンドからの精鋭部隊で、バンドにはのちのアース・ウィンド&ファイアのメンバー、ギタリストのアル・マッケイ、ドラマーのジェイムス・ギャドソンが在籍したことでもその筋で知られる。そこから5人がウィザースを盛り立てるべくバックを務めている。ホーン&ストリングスのアレンジやピアノ、他で活躍しているレイ・ジャクソンは異色のキャリアの持ち主で、このバンドに加わる一方で英国スコットランド(ニューキャッスル)の人気フォークロックバンド「リンディスファーン」の創設メンバーのひとりで、「Meet Me On The Corner」「Fog On The Tyne」等のヒット曲でリードヴォーカルもつとめた人物である(ウィザースの本作と同年、しかも来日公演も行なっている!)。フォークロックとファンク、まるで対極の音楽ではないか。それはともかく、彼らの演奏がいい。ハジけるようなファンクビートを繰り出す中にもブルージーで、ウィザースのヴォーカルにピッタリと寄り添う、とてもあたたかな演奏なのだ。
※リンディスファーンのアルバムは以前この連載コラムで紹介しています。

アルバム/ライヴはいきなりヒット曲「Use Me」で幕を開ける。一度聴いたら忘れられないイントロのクラビネットと小刻みにリムショットを打つドラム、ベース、ギターのコンビネーションが生むグルーブのカッコ良さ! ライヴならではのメンバーの一体感。このクールさにまず打たれる。続いてホーン&ストリングス入りのファンキーなナンバー「Friend of Mine」で盛り上げたところで3曲目には出し惜しみすることなく、早くも「Ain’t No Sunshine」が披露される。盛り上がる聴衆の様子が手に取るように伝わってくる。

シングルカットされ、名曲の誉れ高い「Grandmas’s Hands」もストリングスを効果的に使い、ぐっと聴かせるナンバーだ。ファンキーにキメる「World Keeps Going Around」、ウィザースの歌のうまさ、心象表現の巧みさが際立つ「Let Me in Your Life」、ウィザースのアコギをバックにクールとしか言いようのないファンキーなバックがビシビシ決まる「Better Off Dead」、ブルージーなウィザースの歌唱に絶妙なテンポとタメを利かすバック陣のセンスが光る「For My Friend」、「I Can’t Write Left Handed」はベトナム戦争で右腕を失った帰還兵を描いたスポークンスタイルの反戦ソングだそうだ。

会場が一体となって盛り上がる 長尺のメドレー

曲を続けよう。ホーンを加えたグルービーな演奏に乗ってウィザースが気持ち良さそうに歌う「Lonely Town Lonely Street」、ストリングスとピアノをバックにこれもウィザースの歌唱力が光る「Hope She’ll Be Happier」、タイトなリズムを刻むバックに徐々に熱を帯びていく「Let Us Love」、そして大歓声のまま、ラスト「Harlem/Cold Baloney」になだれ込む。アルバム『Just as I Am』収録曲だが、聴衆の手拍子がやむことなく、会場が一体となって盛り上がる長尺のメドレーとなっている。

最初のアルバムリリース時はLP2枚組で出ているのだが、およそ当日はMCも含め2時間ほどの演奏の中から選ばれたのであろう14曲(1時間14分)から構成されているが、曲構成も見事なものだ。確かにこれはライヴ名盤に選ばれるだけのことはある見事な出来栄えだ。

ウィザースは80年代中頃に引退する。所属レーベルの経営方針と衝突し、ツアーを嫌い、音楽業界に失望していたとも言われる。グラミー賞に6回ノミネートされ、3回の受賞。ゴールドディスク認定は、アルバム3枚、シングルが3枚を数える。2020年3月30日、心臓疾患の合併症のため81歳で亡くなっている。その死に際しては彼に影響を受けた多くのR&B;系のアーティスト、レニー・クラヴィッツ、スティーヴィー・ワンダーらに混じって、ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)が、かけがえのない存在であり、彼は“ソングライターの中のソングライター”であったと、ウィザースを称えるメッセージを残していたのが印象に残っている

時代の流れもあったと思うが、70年代も半ばを過ぎると、ウィザースもやや低迷期というか、チャートに名前が登らなくなったのだが、1981年、ヴォーカリストとして参加したサックス奏者グローヴァー・ワシントン・ジュニアのフュージョン作『Winelight』(‘81)収録の「クリスタルの恋人たち(原題:Just the Two of Us)」がシングルカットされ、全米2位を記録している。この曲の歌声でウィザースを知ったという人も多かったと思う。メロウなサウンドはリリース当時はよくラジオでオンエアされていたものだ。今改めて聴くと“うまいなぁ”と唸らされてしまう。

アーティスト/ミュージシャンとしてのキャリアとしては短いものだったと思うのだが、残されたアルバム、特にスタジオ録音作にも佳曲が多く、そのあたりにもシンガーソングライターらしさが現れていると思う。シングル曲以外の曲にもぜひ耳を傾けていただきたいと思い、数多く出ているベスト盤、コンピレーションをあえてさけ、本ライヴ作も含めたディスコグラフィーを列挙しておく。また、ウィザースの音源は多くの後輩R&B;系アーティストにサンプリングされているということである。こちらはまったく門外漢なので未調査なのであるが。

TEXT:片山 明

アルバム『Live At Carnegie Hall』

1973年発表作品

<収録曲>
1. ユーズ・ミー/Use Me
2. フレンド・オブ・マイン/Friend Of Mine
3. 消えゆく太陽(エイント・ノー・サンシャイン)/Ain't No Sunshine
4. グランドマズ・ハンズ/Grandma's Hands
5. ワールド・キープス・ゴーイング・アラウンド/WORLD KEEPS GOING AROUND
6. レット・ミー・イン・ユア・ライフ/Let Me In Your Life (Live)
7. ベター・オフ・デッド/Better Off Dead
8. フォー・マイ・フレンド/For My Friend
9. アイ・キャント・ライト・レフトハンデッド/I Can't Write Left-Handed
10. リーン・オン・ミー/Lean On Me
11. ロンリー・タウン、ロンリー・ストリート/Lonely Town, Lonely Street (Live)
12. ホープ・シール・ビー・ハッピアー/Hope She'll Be Happier
13. レット・アス・ラヴ/Let Us Love
14. ハーレム|コールド・バロニー/Medley: Harlem/Cold Baloney

<Bill Withers discography>
『ジャスト・アズ・アイ・アム(原題:Just as I Am 旧邦題:消えゆく太陽)』(‘71)
『スティル・ビル(原題:Still Bill)』(‘72)
『ライヴ・アット・カーネギーホール(原題:Live at Carnegie Hall)』(’73)
『ジャストメンツ(原題:+’Justments)』(‘74)
『メイキング・ミュージック(原題:Making Music 旧邦題:歌にたくして)』(‘74)
『ネイキッド&ウォーム(原題:Naked & Warm)』(‘76)
『メナジェリィ(原題:Menagerie 旧邦題:夢の世界)』(‘77)
『愛について(原題:Bout Love)』(‘78)
『ウォッチング・ユー、ウォッチング・ミー(原題:Watching You, Watching Me 旧邦題:愛の情景〜ウォッチング・ユー、ウォッチング・ミー)』(‘85)

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