現在フレンキー・デ・ヨングをバルセロナから獲得するのではないかと言われているマンチェスター・ユナイテッド。
今回は「マンチェスター・ユナイテッドがスペインから獲得してきた10名の選手たち」をご紹介する。
ラファエル・ヴァラン
加入年度:2021年
加入元:レアル・マドリー
移籍金:4000万ユーロ(およそ55.16億円)
レアル・マドリーで世界の頂点を極めたフランス代表ディフェンダー。チャンピオンズリーグの3連覇に貢献した彼は、昨年夏に突如マンチェスター・ユナイテッドへと移籍することを決断。それは苦しむクラブを栄光の道に引き上げるきっかけになるだろうと思われたが…。
エリック・バイリー
加入年度:2016年
加入元:ビジャレアル
移籍金:3800万ユーロ(およそ52.4億円)
2016年にジョゼ・モウリーニョ監督がマンチェスター・ユナイテッドにやってきたあと、初めての補強としてスペインから引き入れられたコートジボワール代表ディフェンダー。強烈な身体能力を備えた彼は有望なデビューを見せたものの、その後怪我もあって立場が危うくなってしまった。
ビクトル・バルデス
加入年度:2015年
加入元:バルセロナ
バルセロナの下部組織で育成され、「現代的ゴールキーパー」の走りとして活躍。見事な足元のテクニック、パスワークに参加できる能力、攻撃の起点になれるキックで「ティキ・タカ」を支えた選手だった。
フリーでユナイテッドにやってきたが出場機会はわずか2試合。U-21でのプレーを拒否したためにルイス・ファン・ハール監督の怒りを買い、トップチームから追放されている。
アンヘル・ディ・マリア
加入年度:2014年
加入元:レアル・マドリー
移籍金:7500万ユーロ(およそ103.42億円)
2014年春に行われたチャンピオンズリーグの決勝でレアル・マドリーの最優秀選手となり、高い期待を受けてマンチェスター・ユナイテッドにやってきたディ・マリア。移籍金もかなりの額が動いていた。
最初こそ素晴らしいプレーを見せたものの、それから徐々にパフォーマンスが低下。ルイス・ファン・ハール監督の下で信頼を失ってしまい、わずか1年でパリ・サンジェルマンへと放出されることになった。
アンデル・エレーラ
加入年度:2014年
加入元:アスレティック・ビルバオ
移籍金:3600万ユーロ(およそ49.64億円)
もともとマンチェスター・ユナイテッドは2013年の夏に彼を引き入れようとしていたが、交渉がうまくまとまらず。1年後に再び接触を行い、ついに加入が決定した。
2016-17シーズンにはクラブの年間最優秀選手に輝くなど安定した活躍を見せ、5年間の所属で189試合に出場。地味ながらもクラブに大きな貢献をし、2019年にパリ・サンジェルマンヘ移籍していった。
ダビド・デ・ヘア
加入年度:2011年
加入元:アトレティコ・マドリー
移籍金:2500万ユーロ(およそ34.47億円)
エドウィン・ファン・デル・サールの後釜探しに苦しんでいたマンチェスター・ユナイテッド。デ・ヘアも加入直後はプレミアに馴染めずに苦しんでいたが、徐々にフィットしてまさに「守護神」といえる存在に成長した。
これまでクラブの年間最優秀選手賞を4回獲得。一時は不調に陥っていたものの昨季は最高の状態に戻り、驚異的なセーブ数を記録している。
ジェラール・ピケ
加入年度:2004年
加入元:バルセロナ
移籍金:525万ユーロ(およそ7.24億円)
バルセロナの下部組織から2004年に加入したピケは、その時まだ17歳だった。マンチェスター・ユナイテッドには当時ネマニャ・ヴィディッチとリオ・ファーディナンドがいたためなかなか出場機会を得られず、2008年に退団するまで23回しかプレーできなかった。
その後バルセロナに戻ってからの活躍は言わずもがなである。
リカルド
加入年度:2002年
加入元:バジャドリー
移籍金:200万ユーロ(およそ2.76億円)
2002年にバジャドリーから獲得されたスペイン人GKだ。ファビアン・バルテズとロイ・キャロルのバックアップとしてプレーした。デビュー戦となったブラックバーン戦のファーストプレーでPKを与え、そして自分でそれを止めたというエピソードで有名。
クイントン・フォーチュン
加入年度:1999年
加入元:アトレティコ・マドリー
移籍金:200万ユーロ(およそ2.76億円)
マンチェスター・ユナイテッドのカルトヒーローの一人である南アフリカ代表選手。アトレティコ・マドリーからやってきた彼は、怪我に苦しみながらも7シーズンで126試合に出場。もともとはアタッカーだったが、左サイドバックとしてもプレーすることになった。
ジョルディ・クライフ
加入年度:1996年
加入元:バルセロナ
移籍金:250万ユーロ(およそ3.45億円)
あのヨハン・クライフの息子として知られる選手。1996年にバルセロナから加入し、最初の3試合で2ゴールを決めた。しかしながらその後は怪我に苦しめられてしまい、4年後に退団するまで58試合にしか出場できなかった。