ついにはまってしまった。
田の神様に。
これまで多くの方が調査をされ写真なども数多く出されている田の神様だが、今、超マイブーム。
何かが開花したように南九州の田の神様を追い求めている。
これまでも文化財のひとつとして、それなりには探求してきたし、普通に数も見てきたとは思うのだが、ここ数年テレビ番組で田の神様をテーマした探検ものを担当させていただくようになったこともあり、さらに心を込めて巡っている。
具体的にいうと、どこか出かけることがあれば、必ずその地域の田の神様を数体は新規に確認するように心がけている。
ちなみに、田の神様は、南九州独特の民俗神で、江戸中期から旧薩摩藩領を中心に建立されはじめた石像である。
まれに木製やコンクリート製もあるが、基本石造であり、現在でも豊作や地域の安寧を願い新たに建立されることもある。
その起源など不明な点も多いが、地域ごとに形状に特徴があり、2000体以上あるとされている。
そのような田の神様に改めてはまった理由として、まず形状の豊富さとユニークさがある。人間が田の神様を想像して形造るのであるから、神様といえどもとにかく人間くさく表現されたものが多く、見ていてほっこりとした気分になれる。
そして、建立されている地域は広域である。
しかも今まで足を踏み入れてない場所に誘ってくれる場合もある。
さらに田の神様を目的として地域に入ったら、別の文化財や美しい風景にも遭遇する確率も高い。
とにかくおまけな気づきの多さにも驚嘆している。
さて、ここで紹介したい私好みの田の神様…と思ったがなかなか絞り切れなったので、今回は鹿児島県内における「最端」、つまり東西南北に位置することをテーマにセレクトしてみた。
ただ、これが確定されるものでなく、田の神様が現在進行形の民俗神であることから、これから記録更新やさらなる発見もあるかもしれないが、自分が確認したなかでの「最端」を紹介したい。
まずは、鹿児島県の最北端の田の神様。
それは、やはり鹿児島県の最北端の地である長島町の獅子島にある。
鹿児島県最北端に位置する獅子島:東川隆太郎撮影
獅子島は周囲約41キロの島で、約1億年前の白亜紀の浅海に堆積した地層が露出することから化石の島とも称されている。
島の基幹産業は漁業と柑橘類栽培であり、そのような島で田んぼが広がる数少ない地域である島の北西部の平野集落に田の神様が二体鎮座している。
平野の田の神様:東川隆太郎撮影
ずんぐりとした背の高さに顔と体の大きさのアンバランス感がユーモラスである。
昭和63年に岡下市之助氏によって建立されている。
また隣には首なしの地蔵が三体並んでいる。
地蔵と並ぶ平野の田の神様:東川隆太郎撮影
ちなみにこれ以北の地域には、漁港と斜面地にある集落が続くことから、この田の神様が鹿児島県最北端といえよう。
次は最東端。
それは鹿児島県では、やはり最東端に位置する志布志市である。
そのなかでも宮崎県の県境に近く、江戸期には高鍋藩との国境の番所があった夏井にある。
夏井番所跡:東川隆太郎撮影
夏井は海岸や漁港で知られているが、田の神様が安置されているのは少々山側である。
デカい田の神様で、手に持つすりこぎとしゃもじをしっかりと携える姿は堂々として頼もしい。
頼もしい風貌の夏井の田の神様:東川隆太郎撮影
建立期は、背中に刻まれており文久2(1862)年とのこと。
デカいしゃもじが特徴的な夏井の田の神様:東川隆太郎撮影
最後は、最西端かつ最南端の沖永良部島の田の神様。
奄美諸島は元来、田の神様を建立する文化圏ではなく、鹿児島県本土域より以南の離島では屋久島に三体確認されているくらいである。
美しい沖永良部島の正名海岸:東川隆太郎撮影
ある時ノーマークだった沖永良部島、和集落に田の神様があるとの情報を島の方からいただいた。
和集落の生活用水として利用されていた湧水は「ソージゴ―」と呼ばれ、集落はずれにある。
集落の生活用水だったソージゴー:東川隆太郎撮影
田の神様もひっそりと佇むソージゴー:東川隆太郎撮影
かつては、野菜類や食器の洗い、洗濯などに使用されていた場所で、その一角に田の神様がひっそりと佇んでいる。
和の田の神様:東川隆太郎撮影
建立年代は不明だが、形状からして田の神様であり、この場所にある意味から水神の役割も担っているようでもある。
とりあえず、最端ということだけでも価値があり、どれも地域の方々から大切にされている感じがしっかりと伝わることから世間遺産に認定した。
参考文献
田の神石像・全記録 八木幸夫 著 南方新社 出版 2018年4月発行
和泊町誌 民俗編 和泊町誌編纂委員会 昭和59年12月発行
この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。
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