昭和期に人気だった「相澤ロボ」、万博で復活目指す クラファン開始へ

MANOI企画運営の「ロボットゆうえんち」に1体だけある相澤ロボットと、岡本社長=厚木市中町2丁目

 昭和期に人気を博し、1970年の大阪万博に出展された通称「相澤ロボット」。現存するわずかな作品のうち、長らく眠っていた15体を修復し、2025年の大阪・関西万博での「復活」を目指すプロジェクトを、厚木市の企業が中心となって立ち上げた。半世紀ぶりの晴れ舞台に向け、近くクラウドファンディング(CF)での資金調達を開始する。

 相澤ロボットとは「ロボット博士」の別名を持ち、日本で初めてロボットづくりの指南書を著したとされる故相澤次郎氏が、昭和30~50年代を中心に製作した約800体を指す。開発費が100万円を超えた作品もあり、子どもたちが集まるデパートの屋上やイベントで引っ張りだこだったとの記録が残る。

 一部の作品は、大阪万博で手塚治虫氏がプロデュースしたというパビリオンに展示された。ロボット開発を手がけるMANOI企画(厚木市)の岡本正行社長(56)は「特徴的な人型のデザインが『ロボットといえばこれ』というイメージを決定づけた」と話す。

 しかし紆余(うよ)曲折があり、相澤ロボットの多くは姿を消した。北海道・夕張の展示先がなくなった影響で、廃棄寸前に追い込まれた11体を岡本社長らが引き取ったのは2014年。協力者とともに数十万円を持ち寄って修復し、都内の科学館などで展示した。

 その後、半世紀ぶりとなる大阪での万博開催が決定。関係者の間で相澤ロボットの出展構想が持ち上がった折に、相澤氏の親族から相談が寄せられた。聞けば、指揮者と演奏者の15体で構成する「ロボット楽団」が見つかったという。

 雨風をしのげる倉庫に保管してあり、原形はとどめていたが、経年劣化によって「エアコンの風で塗装が剥がれてしまうほど傷んでいた」と岡本社長。再び光を当ててほしいという親族の意向をくみ、昨年の春先に譲り受けてから修復計画を本格化させた。

 15体のロボットはいずれも両手で持ち運べるサイズで、構造はさほど複雑でないという。ただ、往時の姿を完全に再現するには、同じ部品を取り寄せたり、塗装の成分を分析したりしなければならない。一連の費用は数百万円に上るとみている。

 そこで、岡本社長ら有志でつくるプロジェクトチームは今月25日、インターネットを通じて幅広く資金を募るCFに乗り出す。目標額は最低限の作業に必要な80万円。高額の支援者に対しては、ロボット楽団を一時的に展示できる権利を返礼として用意した。

 修復作業のボランティアも募集する。企画に賛同した不動産会社、アジア太平洋トレードセンター(大阪市)が運営する商業施設の一角を借り、来年1月から毎月1回ペースで、修復作業の公開イベントを開催。万博が始まる25年4月までの完成を目指す。

 岡本社長自身、幼少期に相澤ロボットのニュースを見て胸を高鳴らせた一人だ。「あの感動が活動の原点にある。今度は僕らが子どもたちに夢を伝えたい」。3年後に迫った万博で、ロボット楽団の晴れ姿を心待ちにしている。

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