10分でいいから事件の前に戻りたい 京アニ放火で犠牲、高橋博行さん父の思い

高橋博行さんの部屋で、生前のノートを見つめる父喬造さん。息子が眺めた窓からの景色は、変わってしまった(8日、神戸市内)

 「これから人生で一番充実した時を迎えることができたんじゃないかな」。京都アニメーション放火殺人事件で亡くなった次男のアニメーター高橋博行さん=当時(48)=を思い、父の喬造さん(79)は天井を仰ぎ見た。奪われた命の重みと向き合う日々は終わることなく、この1年は大阪・北新地で起きた放火殺人事件にやりきれない思いを募らせる。

 繊細な映像表現が高く評価される作品を生み出してきたスタジオで、メカや楽器を精密に描く博行さんは大きな信頼を集めていた。私生活では、父として幼子2人の成長が楽しみで仕方ない様子だった、という。

 「あの映像がまたテレビで流れると思うと、つらいね」。今年6月下旬、神戸市の自宅で取材に応じた喬造さんがつぶやいた。

 2019年7月18日午前、ガソリンがまかれ、猛煙に包まれる京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)を映すテレビ番組を見ながら、喬造さんは当初、息子は別の場所にいるだろうと楽観していた。そのことを思い出すたび、心が痛むという。

 喬造さんはファイルを開き、かつての隣人から昨年届いた年賀状を取り出した。博行さんは中学生になる頃から絵の世界へ進む目標を話していた、との内容が記されていた。高校時代からだと思っていた喬造さんにとって初めて知る事実だった。それだけ大きな夢が道半ばで断たれたと思うと、余計に悔しくなった。

 3年の月日が流れ、親子で共有した景色は移ろった。今春、博行さんが20歳で京アニに就職するまで寝起きした部屋の眺望が一変した。目の前に立体駐車場が建設され、団地が立ち並ぶ山の斜面やまちの象徴の時計台は見渡せなくなった。ただ、10分でいいから事件の前に時計の針を戻したい気持ちは、ずっと変わらない。

 喬造さんは、博行さんが伴走できなかった幼子たちの成長を、この先も見届けたいと望む。「何としても、博行が還暦を迎える年までは生きたい」。3年前から欠かさず、自らが1日生き延びたことをかみしめながら鶴を折り続けている。「これは博行と一緒に生きる証です」

 これまで喬造さんは、博行さんの命の軌跡を残したいと取材に応じ、在りし日の姿や遺族としての心情を語ってきた。事件の半年後には、極刑に処せられることも想定される青葉真司被告(44)への思いについてこう声を震わせていた。

 「亡くなった36人の命と1人の命をてんびんにかけた時、それでまかなえるのか。被害者の命はそんなに軽いのか、と私は思う。本当に反省して、こんな事が、どれほど理不尽なのかを世間に知らしめるのも償いではないか。後世の人が、こういう凄惨(せいさん)な事件を二度と起こさないために行動してほしい」

 だが、公判がまだ始まりもしない昨年12月17日、わが子の命を奪った事件と酷似する惨劇が起きた。大阪・北新地のビルにガソリンがまかれ、26人が犠牲となったのだ。「被害者の気持ちが分かるから、やりきれない」。喬造さんはぽつぽつと語り始めた。

 

 繰り返される惨劇に、青葉被告の公判を待つ思いは一層強くなった。「大阪のような事件が次々と起これば、(京アニ事件で)社会は何も変わらなかったことになる。次の事件を防ぎ、同じような被害者を本当に出さないような裁判になるならば、亡くなった人の命は多少なりとも救われるのではないか」

 大阪の事件では、死亡した容疑者の自宅とみられる住宅から、京アニ事件の発生2年を伝える新聞記事の切り抜きが見つかった、とされる。

 喬造さんは、報道が模倣を招きかねないことを重く受け止め、犯罪抑止へ真につながる伝え方を探し求めてほしいと訴えた。「犠牲者や遺族の痛みを分かってもらえるなら、模倣犯は生まれないかもしれない」と声を絞り出す一方、遺族としての自らの言葉が犯罪を試みようとする者を刺激しないかと案じた。

 事件が風化すれば、模倣は起きないかもしれないとも思う。取材を受ける苦しさや拒否感があるのも事実だという。それでも喬造さんは願う。「もう、こういう事件が起こらないことが第一です」

事件で亡くなった高橋博行さんの父喬造さん。取材中、厳しい表情でたびたびうつむいた(8日、神戸市内)

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