「鎌倉殿の13人」誕生の“秘話” 全員が集まり合議を行ったのは本当なのか 識者が解説

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第27回「鎌倉殿と十三人」では、主人公・北条義時(演・小栗旬)が源頼朝の後継となった源頼家の御前で、有力御家人13名を紹介する場面が描かれました。

源平合戦から頼朝の死までという長い序章が終わり、ついに、御家人同士の暗闘が繰り広げられる本編が幕を開けたのです。頼朝の死後、若年の頼家を補佐する体制(十三人の御家人が合議により、政治をしていく)が作られたと言われてきました。

それは、同ドラマの脚本家・三谷幸喜氏が「13人の家臣たちが集まって、これからは合議制で全てを進めよう、と取り決めます。これが、日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いたという瞬間で、まさに僕好みの設定」(NHKのHP)と表現されているような体制が作られたと思われてきたのです。

鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』の1199年4月12日の項目には、幕府において「諸々の訴訟のことは、頼家が直に 決断することは停止する。今後は、北条時政・義時、大江広元、三善善信、中原親能、三浦義澄、八田知家、和田義盛、比企能員、安達盛長、足立遠元、梶原景時、二階堂行政らが談合して、判断すべし。その他の者が、安易に訴訟のことを取り次ぐのは不可である」との記述が見えます。これが、鎌倉殿の13人、つまり十三人の合議制の根拠になってきた記事です。この記事は、頼家の独断を抑え、有力御家人の合議により、幕府の決定とする制度と解釈されてきました。

しかし、この記事以降も、頼家がリーダーシップをもって決断する場面が描かれています。そして何より、十三人の御家人が集まり、合議を行ったという事例は、現時点では確認されていないのです。つまり「鎌倉殿の13人」(十三人の合議制)なるものは存在しなかったと現時点では言えるのです。

先ほど紹介した『吾妻鏡』の記事も、頼家の権限を制限するものではなく、十三人のなかの数名が合議し、その結果を頼家に報告、新しい鎌倉殿(頼家)が最終決断するこ とを表しているという解釈に変わってきたのでした。

前掲記事の眼目は、十三人以外の者(御家人)が訴訟を頼家に取り次ぐことを禁止したことだったのです。多くの者が大量の訴訟を持ち込んでくれば、当然、幕府の政治は混乱します。よって、それを防ぐために、前述のような策が考えられたのでしょう。

さて、十三人の中で、北条義時は唯一の30代、一番若い。彼は今後、どのような活躍を見せるのか、ドラマの展開が楽しみです。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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