ジャズ名盤解説:ビル・エヴァンス『 You Must Believe in Spring』

【DIGGIN’ THE VINYLS Vol.17】 Bill Evans / You Must Believe in Spring

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ポップで洒脱な名プロデューサー&エンジニア・チームと、ジャズ・ピアノの詩人が紡いだ一期一会の傑作
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それがビル・エヴァンス『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』である。プロデューサーのトミー・リピューマ(※)とエンジニアのアル・シュミットは、バーブラ・ストライサンド『追憶』、アル・ジャロウ『輝き』、ジョージ・ベンソン『ブリージン』、マイケル・フランクス『スリーピング・ジプシー』、今世紀に入ってからはダイアナ・クラール『ザ・ルック・オブ・ラヴ』などに名を刻むマエストロたち。売り上げと音楽性の双方を兼ねるアルバムを永年にわたって送り続けた確かな耳の持ち主が、エヴァンスの大手レーベル“ワーナー・ブラザーズ”移籍第一弾に携わったのだ。

オリジナルLP(33回転)はA面4曲、B面3曲の収録だったが、今回、“クラフト・レコーディングス”から登場した本作は45回転重量盤の2枚組仕様となっており、オリジナルLPの曲順に従いながら片面2曲ずつカッティングされている(2枚目のB面は「M*A*S*Hのテーマ」のみ)。

マスタリングはケヴィン・グレイが担当。33回転盤に刻まれていた、ちょっと霧をまとって響いてくるようだったビル・エヴァンス・トリオの音世界の、繊細極まりないところはしっかり残したまま、何パーセントかのベールを丁寧に丁寧に剝がし、2022年のリスナーに提示している印象を受けた。古典的な優秀録音盤をさらにアップデイトして、究極の形で届けようというレーベル側の姿勢をひしひしと感じるのは筆者だけではないはずだ。またひとつ、こたえられないほど魅力的なアナログ体験ができた。

<YouTube:You Must Believe In Spring (Remastered 2022)

『ユー・マスト~』は前述のとおりエヴァンスのワーナー初吹き込みとして77年8月に収録された。しかし、陽の目を見たのは録音から約4年後、彼の他界からおよそ半年を経た1981年春のことだ。訃報を受けて、いくつかのレコード会社が既発の演奏を集めた追悼コンピレーション・アルバムを出すなか、まったくの新作として登場したのだからインパクトは相当なものだった。亡くなった当時の“最新作”は、クインテット編成による『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』(80年春発表)。

その前はトゥーツ・シールマンスのハーモニカが加わった『アフィニティ』(79年初夏発表)、さらにその前は多重録音によるソロ作『未知との対話-独白 対話 そして鼎談』(78年夏発表、リアルタイムでは移籍第一弾として発表された)。以上3作とも、アコースティック・ピアノとエレクトリック・ピアノを併用している。つまり、当時のリスナーは“ベース、ドラムスとのレギュラー・トリオを率いて、生ピアノを弾くエヴァンスの新譜”に久しく出会っていなかったわけである。『ユー・マスト~』はそこに、干天の慈雨のように降り注いだ。

<YouTube:Bill Evans - Freddie Freeloader (Official Remastered Audio)

発表のタイミングも、後になって考えれば絶妙だった。日本では81年4月新譜として登場したものの、同年6月にはマイルス・デイヴィスが約6年ぶりに人前での活動を再開し(バンド・メンバーにはマイク・スターンやマーカス・ミラーがいた)、また同じ頃“ウェザー・リポート”の一員として飛ぶ鳥を落とす勢いだったジャコ・パストリアスが衝撃の『ワード・オブ・マウス』をワーナー・ブラザーズから発表(つまりエヴァンスの死と入れ替わるようにワーナー入りを果たした)。よりアコースティック・ジャズ寄りのところでは10代のトランペット奏者ウィントン・マルサリスが彗星のごとく登場し、所属する老舗“アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ”の人気をも再燃させてしまった。その直前、嵐の前の静けさをしめくくるように『ユー・マスト~』が世に問われた。

同時にこれは、1966年から続くエヴァンスとエディ・ゴメス(ベース)の連携が記録された最後の一枚にもなった。エヴァンスの作品を通じてゴメスを知り、コントラバスのイメージに挑戦するかのような高音速弾きにインパクトを受けた歴代ファンも多いことだろう。そのゴメスが弾きまくりを控えて、よく伸びる低音(それは楽器を電気増幅していることにもよるのだろうが)を重視しながら、驚くほど渋く深みのあるプレイでエヴァンスのピアノに寄り添う。極めて優しげなエリオット・ジグムンドのドラムスは、エヴァンスとゴメスを包み込むかのようだ。

<YouTube:B Minor Waltz (Remastered 2022)

アルバム収録曲に、いわゆるスタンダード・ナンバーはひとつもない。しかし全編がメロディの宝庫、しかも胸をしめつけるものばかりといっても過言ではない。「Bマイナー・ワルツ」でエヴァンスのピアノに絡むように奏でられるベースの旋律が、またいい。“フォー・エレイン”という副題は73年に地下鉄に投身した内縁の妻、エレインに因む。いっぽう“フォー・ハリー”というサブタイトルなのは「ウィ・ウィル・ミート・アゲイン」。だが録音当時、実兄のハリー・エヴァンス(ピアニスト、音楽教師)はまだ健在だった。彼が命を絶つのは79年のことである。

ラストを飾る「M*A*S*Hのテーマ」は別名「スーサイド・イズ・ペインレス」(邦題「もしも、あの世にゆけたら」)、野戦病院を舞台とした映画『M*A*S*H』のために作曲家ジョニー・マンデルが書いたナンバーだ。『ユー・マスト~』の新装発売に際して加えられたライナーノーツ(マーク・マイヤーズ執筆)によると、トミー・リピューマはエヴァンスのワーナー移籍第一弾に“マンデル編曲・指揮オーケストラとの共演による、マンデル楽曲集”を企画していて、エヴァンスも乗り気になっていたらしい。結局これは実現せずに終わるのだが、「M*A*S*Hのテーマ」はしっかりこのピアニストのレパートリーに入り、緩やかな自死にピリオドが打たれる80年9月まで、繰り返し演奏されることになる。

<YouTube:Theme From M*A*S*H (Suicide Is Painless)

※アルバムには、ヘレン・キーン(エヴァンスのマネージャー)との共同プロデューサーとしてクレジットされている

(文:原田 和典)

■作品紹介

Bill Evans / You Must Believe in Spring

発売中→https://store.universal-music.co.jp/product/7226254/

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