【三成亮氏お別れの会】「日本保険薬局協会の団体名の生みの親」/お別れの言葉で生前のエピソード

【2022.07.21配信】5月に亡くなった三成亮氏のお別れ会「三成亮を偲ぶ会」が7月21日、ホテルオークラ東京で開かれた。三成氏は2007年から2010年まで日本保険薬局協会事務局長を務めた。

お別れの言葉では、日本薬剤師会会長の山本信夫氏のほか、日本保険薬局協会会長の首藤正一氏、日本薬剤師会相談役の漆畑稔氏、ウエルシア薬局取締役副社長の石田岳彦氏、東邦ホールディングス顧問の柏木實氏など、錚々たるメンバーが顔を揃え、思い思いの別れを告げた。

中でも柏木氏は、日本保険薬局協会が創設される際の会議の場での三成氏の発言が、今の団体名につながったとのエピソードを述懐。当時、候補に挙がっていた「日本調剤薬局協会」の団体名に対し、三成氏がストップをかけ、「日本保険薬局協会でどうか、と発言されたことを覚えている」と語った。「三成さんは日本保険薬局協会の団体名の生みの親だ」と話した。
また、英語の略称である「NPhA」に関しても、大文字の「NPHA」で既存の団体があり、悩んでいた際に、「機知に富んだ三成さんが、Hだけを小文字のhではどうかと発案され、それが通った」と思い出を語った。

会の冒頭では発起人代表の宮川幸浩氏が、「三成さんとの出会いは私にとってかけがえのないものだった」とし、自身の子供と三成氏が親交があったことにも触れ、「感謝しかない」と話していた。

三成氏は1959年7月20日生まれ、享年62歳。東京薬科大学を卒業後、日本ロシュ勤務を経て、1987年日本調剤に入社、2008年には同社常務取締役に就任した。2007年~2010年には日本保険薬局協会事務局長を務めた。2014年にはCFSコーポレーションに入社、医療推進本部調剤推進部長に就任。2016年イオンに入社、ドラッグ・ファーマシー事業政策チーム薬事担当部長に就任。
会場には三成氏が釣りが好きだったことから釣り道具のリールなども展示され、来場者が見入っていた。

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