全線開業が見通せない西九州新幹線、反対する佐賀県の「あの出身者」が原因 「鉄道なにコレ!?」(第32回)

西九州新幹線で試運転中のN700S=6月6日、長崎市(吉村元志氏提供)

 9月23日に武雄温泉(佐賀県武雄市)―長崎間で部分開業する西九州新幹線は、博多(福岡市)までの全線開業は見通せない。運行するJR九州と長崎県は武雄温泉以東を標準軌で建設することを求めているが、その場合に多額の負担を強いられる佐賀県が反発して膠着状態にある。だが、佐賀県を苦しめているのは皮肉にも「あの出身者」の決断だった…。(共同通信=大塚圭一郎)

 【西九州新幹線】博多―長崎間の約143キロを新幹線で結ぶ計画。政府が全国新幹線鉄道整備法に基づいて1973年に策定した5路線に含まれる。部分開業後は、東海道・山陽新幹線でも走っている最新型車両N700Sを使った列車「かもめ」(6両編成)が最高時速260キロで走る。途中駅に嬉野温泉(佐賀県嬉野市)、新大村(長崎県大村市)、諫早(同県諫早市)を設け、到達時間が最短23分の最速達タイプは諫早駅だけに停車する。武雄温泉駅のプラットホームで博多と結ぶ在来線特急「リレーかもめ」を乗り換えられるようにし、博多と長崎の所要時間は最短1時間20分と現在の在来線特急「かもめ」より30分短くなる。特急かもめは今年9月22日で運転を終える。

 ▽2年超前に「ノンストップ列車は走らない」

西九州新幹線で試運転中のN700S(左)と、JR九州在来線のYC1系(右)=6月6日、長崎市(吉村元志氏提供)

 JR九州が6月10日、西九州新幹線の武雄温泉―長崎間の最速達タイプは諫早駅だけに停車し、ノンストップの列車は設けないと公表したことに胸をなで下ろした。

 というのも筆者は、勤務先の福岡支社編集部在任中の2年超前、長崎新聞政経懇話会で2020年2月20日に長崎市、翌21日に長崎県佐世保市で西九州新幹線について講演させていただいた際に「新幹線の区間ではノンストップの列車を設けず、諫早駅だけに停車する速達タイプの列車を導入する見通しです」と“予告”していたからだ。
根拠となったのはJR九州首脳にノンストップ列車を設けるかを尋ねると「それはない」と否定され、西九州新幹線の駅別乗車人員で長崎駅に次いで多い諫早駅だけに停車する列車を設定するかどうかを尋ねると「そうなるでしょう」と認めたことだった。
 講演の際に申し上げた「JR九州の次期社長の本命は古宮洋二取締役専務執行役員(当時)です」というトップ人事予想も今年4月1日に実現した。

 ▽九州新幹線と異なる理由

 九州新幹線が2004年3月に新八代(熊本県八代市)―鹿児島中央(鹿児島市)間で部分開業した際はノンストップ列車を設けたのに、なぜ西九州新幹線では見送ったのか。

九州新幹線の800系「つばめ」=2019年4月16日、福岡県那珂川市で筆者撮影

 九州新幹線の部分開業時は新八代駅で新幹線「つばめ」のノンストップ列車と在来線のリレー特急を乗り継いで博多―鹿児島中央間が最短で2時間11分となり、それまでの在来線特急「つばめ」より約1時間半も短くなった。青柳俊彦会長は、ノンストップ列車を設けたのは「新幹線が速くなったことをアピールするためだった」と振り返る。
 しかし、西九州新幹線の部分開業では博多―長崎間が最短1時間20分と、現在の特急「かもめ」に比べて時間短縮が30分にとどまる。このため、JR九州の在来線や島原鉄道、路線バスなどと接続する「交通の要衝」の諫早駅に全列車を止めるほうが「顧客利用を考えると望ましいと判断した」(JR九州幹部)という。

JR九州の特急「かもめ」=20年7月11日、福岡県筑紫野市で筆者撮影

 ▽線路幅の違いがあだに

 同じJR九州の新幹線車両がそのまま在来線に直通運転をできない大きな理由は二つある。一つは架線に供給される電力の問題だ。周波数60ヘルツの交流なのは一致しているが、西九州新幹線は電圧が2万5千ボルトなのに対し、JR九州の在来線は2万ボルトと異なる。ただ、車両に変圧器を搭載すれば対応可能で、大きな問題はもう一つの線路幅の違いだ。
 西九州新幹線を含めた新幹線が採用している線路幅は1435ミリで、国際標準の線路幅で「標準軌」と呼ばれる。大手私鉄では首都圏の京浜急行電鉄や京成電鉄、関西の阪急電鉄や阪神電気鉄道、京阪電気鉄道などが採用している。

新幹線と同じ線路幅の標準軌を採用している阪神電気鉄道の8000系=20年5月30日、兵庫県尼崎市で筆者撮影

 一方、JR在来線の線路幅は1067ミリで、標準軌と比べて狭いため「狭軌」と呼ばれる。英国が植民地だった南アフリカで採用し、主要都市のケープタウンにちなんで「ケープゲージ」と呼ばれる。首都圏大手私鉄では、世田谷線を除く東急電鉄、西武鉄道(山口線を除く)が用いているほか、東京都営地下鉄三田線、JR九州筑肥線と直通する福岡市地下鉄空港線などの国内の幅広い鉄道が用いている。

JR在来線と同じ狭軌を採用している西武鉄道池袋線を走る9000系=13年5月4日、東京都練馬区で筆者撮影

 ▽狭軌採用の原因は有力私大創設者

 それでは、日本の在来線の線路幅で狭軌を採用したのは誰か。東京専門学校(現早稲田大)の創設者で首相などの要職を歴任した肥前国(現佐賀県)出身の大隈重信(1838~1922年)だ。
 原田勝正氏の著書『日本鉄道史 技術と人間』(刀水書房)は、鉄道建設のために日本政府が雇った外国人技師長のエドムンド・モレルが1870(明治3)年4月、当時の民部大輔(たゆう)兼大蔵大輔の大隈重信と初めて会った際に「大隈の判断で決められた」と記している。
 だが、大隈が率先して狭軌を選んだわけではなく、もともとは政府が雇った1人のホレーショ・レイが狭軌を推奨したことが複数の書籍で紹介されている。川島令三氏の著書『思わず誰かに話したくなる鉄道なるほど雑学』(三笠書房)は、レイが狭軌を勧めたのは「同じケープゲージ(狭軌)を採用していたインドの中古資材を購入して、その利ザヤで大儲けをたくらんだためだった」とし、狭軌が採用されると「即刻インドの中古資材や機関車、客車、貨車などを発注した」と紹介している。
 レイは鉄道建設のための公債発行でも自分の利益を得ようとしたことが表面化して解雇されるが、時既に遅し。車両などを発注済みだったため日本で初めて営業運転を始めた1872年の新橋(現在の汐留地区)―横浜(現桜木町)間は狭軌にせざるを得ず「使用開始した機関車10両のうち、3両は中古品、残る7両も注文流れ品である。客車やレールその他も同様だった」とされる。
 大隈は後に「狭軌の採用は、一生の不覚であった」と振り返っている。
 ある佐賀県幹部と懇談した際、筆者は「西九州新幹線で問題が起きている線路幅の問題は、もともとは佐賀県出身者が原因じゃないですか」とおどけた。すると幹部は「大隈重信のことだよね。それは否定しないよ」と笑った。実にあっさりと”引き下がる”様子は、標準軌で武雄温泉以東を建設する優位性を訴える国土交通省を相手に激戦を繰り広げている佐賀県の姿勢とは対照的だった。

 ※「鉄道なにコレ!?」とは:鉄道と旅行が好きで、鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」の執筆者でもある筆者が、鉄道に関して「なにコレ!?」と驚いた体験や、意外に思われそうな話題をご紹介する連載。2019年8月に始まり、ほぼ月に1回お届けしています。ぜひご愛読ください!

© 一般社団法人共同通信社