荒木山古墳 市民参画で発掘へ 真庭・北房、文化遺産継承に期待

きれいに草が刈られた西塚。左手前が後円部、右奥が前方部

 住民たちが願った発掘が今秋、いよいよ始まる。

 真庭市北房地域の荒木山古墳は、3世紀半ば~4世紀に築かれた東塚と西塚からなる。約250もの古墳がある地域内で最古級とみられる貴重な財産はしかし、草木に埋もれ、忘れられつつあった。

 危惧した住民が顕彰会(現北房文化遺産保存会)を立ち上げたのは2016年。東西の塚のやぶを切り開き、18、19年度は市、同志社大との3者で磁気探査装置などを使い、墳丘を掘らずに調査を行った。今回は作業員を広く公募し、住民らが指導役もこなす。

 全国でも珍しいという市民参画の古墳発掘。遺跡を文化遺産として次代へ継承する新たなモデルとなるか、注目される。

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 古墳時代に多くの首長墳が築かれた真庭市北房地域は、吉備中心部や出雲、畿内を結ぶ要衝に位置した。旧北房町時代、ともに国史跡の大谷1号墳や定古墳群の発掘で豪華な副葬品などが見つかり注目を集めたが、荒木山古墳(市史跡)は地元住民らが声を上げ、雑木の伐採などに取り組むまで手つかずだった。

 今秋から事業主体の市と、同志社大との3者で始まる発掘は、西塚(前方後円墳、全長63メートル)と東塚(前方後方墳、同47メートル)のうち西塚で2年かけて行い、規模や構造を確定させる。墳丘や周囲に試掘溝を掘る作業は通常、臨時職員らを雇うが、住民でつくる北房文化遺産保存会の会員約40人や公募するボランティアらが実動部隊となる。

 保存会はボランティアを的確に指導できるよう専門家の下で掘削を予行演習するなど準備に余念がない。久松秀雄会長(81)は「北房のルーツを知る上で貴重な遺跡。子どもにも参加してもらい、地元愛を育みたい」と話す。

 同志社大は現場近くの古民家にサテライト研究室の開設を予定。市は学術的水準の確保に向け、考古学専門家らでつくるサポート組織を近く立ち上げる。市教委生涯学習課の新谷俊典主幹(45)は「西塚以外の遺跡にも関心が広がれば、文化遺産として守り伝える担い手がもっと増えるはず」と期待を込める。

 元々、発掘への道筋を付けたのは住民たち。働きかけを受けた市が2017年から検討を始め、協力を打診した同志社大の津村宏臣准教授(48)が「研究機関や行政が調査をするだけでは住民を遠ざける原因になり、遺産の継承を危うくする」と指摘。住民参加を提案し、作業にも加わることになった。

 市側は遺跡の調査や保存活用などを学ぶ住民向け講座を18年度から3カ年計画で開講。同年度から行った非破壊での墳丘内部調査では、住民も最新機器を操作した。

 住民参加の発掘は約70年前の月の輪古墳(美咲町)が知られるものの、広がってはいない。行政主導が一般的な遺跡の保護・調査体制に「市民参画」で臨む北房地域。県教委文化財課の尾上元規副課長(53)は「文化遺産の継承に向けた意欲的な取り組みとして評価したい。調査の専門性を確保しながら、いい成果を挙げてもらいたい」とする。

 山陽新聞社は、地域の方々と連携して課題解決や新たな魅力の創出を図る「吉備の環(わ)アクション」として、発掘を巡る市民の動きを紙面などで報道。地域遺産を受け継ぎ、次代へつなげるヒントを探っていく。

小山の上に築かれた荒木山西塚古墳(左側)と東塚古墳(右側)。市民参画による発掘が西塚で始まる=真庭市上水田

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