祝・11年ぶりに全線運転再開へ 福島県会津と新潟県魚沼結ぶJR只見線 復活までの道のり、沿線の見どころも【取材ノートから No.11】

盛夏の只見線とJR東日本のキハE120形気動車(写真:くまちゃん / PIXTA)

ローカル線ファンの間で今、ちょっとした話題なのが福島県会津と新潟県魚沼を結ぶJR東日本の只見線(会津若松―小出間135.2キロ)です。只見線は、2011年7月の「新潟・福島豪雨」で大規模に被災。11年経過した現在も、会津川口―只見間(27.6キロ)が不通です。

運転再開は難しいとされたなか、福島県を中心とする地元はJR東日本に鉄道での復旧を強く要請。JR東日本は2022年10月1日からの全線運転再開決定に続き、新ダイヤを発表しました。本コラムは、鉄道事業者と地元協力のモデルケースと位置付けられる、只見線の復活までを振り返りつつ、線区の見どころなどをまとめました。

東日本大震災に続いた新潟・福島豪雨

福島県にとって2011年は、2つの大きな自然災害に見舞われた年でした。1つは3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故。そして、もう一つが7月27~30日の新潟・福島豪雨です。

気象庁只見観測所のアメダスデータでは、1時間最大雨量69.5ミリ、総雨量711ミリで、観測史上1位を記録。福島県内では、住宅の全壊33棟、半壊198棟など大きな被害がありました。

JR東日本によると、只見線の主な被害はムジナ沢橋りょう橋台洗掘、第4只見川橋りょう橋げた損傷、会津坂下―会津柳津間盛土崩壊、田子倉トンネル出口土砂流入など。豪雨から3年経過した2014年8月の公表資料によると、その時点までに投じられた復旧工事費は約19億円とあります。

只見線は豪雨直後、会津坂下―小出間113.6キロが不通になりましたが、徐々に運転再開区間を伸ばし、2012年以降は現在と同じ会津川口―只見間だけが不通になっています。

JR東日本の試算では、不通区間にある第5、第6、第7、第8の4本の只見川橋りょうの復旧費は合計約85億円(斜面、軌道、信号通信設備などの復旧費約15億円を含む)。工期4年以上とされました。

只見線の不通区間と復旧区間。新潟・福島豪雨から1年2ヵ月後の2012年10月までに会津川口―只見間を除いて復旧しました(資料:JR東日本)
第五、第七只見川橋りょうの被災時と現在の様子。第七只見川橋りょうは橋台も再構築したことが分かります(資料:福島県の「あいづの今」パネル展示から 画像:福島県只見線再開準備室)

只見線利用客数は1日370人

本コラムでも再々取り上げてきた点ですが、最近の鉄道事業者は地方ローカル線の経営指標を積極的に公表して、地元との話し合いを求めます。JR東日本の2010年度データで、只見線の利用客数は1日当たり370人。同社の在来線67線区のうち下から2番目にランクされます(最下位の岩泉線〈岩手県〉は2014年に廃止)。

国鉄民営化後の只見線の利用客数。確かに減少傾向が続きますが、観光客の利用などで激減はしていないように思えます(資料:JR東日本)

只見線の収支は、2009年度データで営業収益500万円に対し営業費3億3500万円で、3億2900万円の赤字。これだけ大きな赤字を計上すると、一般企業ならその製品は製造中止の可能性が高いわけですが、地域の移動インフラを受け持つJR東日本にすれば、自社都合で存続か廃止かは決められません。

JR東日本は、開示データをもとに福島県などと善後策を協議した結果、2017年6月に上下分離による鉄道としての復旧・存続が決まりました。

鉄道復旧後はJR東日本が2種、福島県が3種事業者に

JR東日本と福島県の、「只見線(会津川口―只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の主な中身を確認します。JR東日本は、県と会津地方17市町村の要請に基づき、不通区間を鉄道で復旧します。

復旧後、鉄道施設などを県に無償譲渡。JR東日本は第2種鉄道事業者、福島県は第3種鉄道事業者の許可をそれぞれ国土交通大臣から受けます。

施設保有と列車運行主体を分ける経営の上下分離=イメージ=(資料:只見線利活用プロジェクトチームのリポート「只見線利活用計画」から)

福島県は、JR東日本に鉄道施設などの使用料を請求しますが、復旧区間の収支に欠損が生じないよう減免し、実質無償にします。簡単にいえば、只見線の全線運転再開でJR東日本に新たな負担が生じないよう支援します。

基本合意書の締結に当たり、福島県は「只見線は、地域の将来像を描く上で重要な存在。日本一のローカル線として、多くの方に利用される路線にしたい」(内堀雅雄知事)、JR東日本は「福島県外からも多くのお客さまを呼び込み、只見線をご利用いただける取り組みを地元と共同で進めていく」(深澤祐二社長)と、それぞれコメントしました。

地域の未来を切り拓く只見線

只見線沿線自治体は「只見線にみんなで手を振ろう条例」を制定、乗客に感謝の気持ちを伝えます(資料:福島県の「あいづの今」パネル展示から 画像:福島県金山町)

福島県はなぜ、財政負担してまで只見線を復旧させたのか。福島県生活環境部只見線再開準備室が事務局を務める、只見線利活用プロジェクトチームが2018年3月にまとめたリポート「只見線利活用計画」には、地元の鉄道復活に託す思いがあふれます。

リポートのサブタイトルは、「ここにしかない、ヒト、モノ、コト、イロを活かし、地域の未来を切り拓く―只見線135.2kmの挑戦」。本文にいわく、「只見線は秘境をめぐるローカル線として人気が高く、車窓からの絶景は多くの旅行者に愛されています。只見線の魅力は、海外にも伝わり、インターネット上では『福島の只見線は世界で最もロマンチックな鉄道』と絶賛されます(大意)」。

鉄旅オブザイヤーでグランプリ

私は観光・旅行のプロが只見線を観光資源化した、こんなニュースを思い出しました。鉄道利用の魅力的な旅行商品を顕彰する「鉄旅オブザイヤー2018」。応募104件から最優秀賞のグランプリには、読売旅行の「JR只見線全線復旧決定祈念!世界一ロマンチックな鉄道で1000人結婚式を!」が選ばれました。

復旧祈念列車は、JR東日本のトロッコ風気動車「びゅうコースター風っこ」を使ったブライダルトレイン。運転当日は4組が車内結婚式を挙げ、読売旅行は特製花見弁当などの特典を付けてツアーに仕立て、1000人を集客しました。

鉄道ファン目線の只見線は、会津桧原―会津西方間の第一只見川橋りょうが日本の絶景橋りょう上位にランク。線区全体として情報サイトの「紅葉の美しい鉄道路線」第1位に選ばれるなど、人気の高い線区です。

只見線の定番絶景スポット、会津桧原―会津西方間の第一只見川橋りょうを渡る列車(写真:kazukiatuko / PIXTA)

国鉄会津線、電源開発貨物専用線、国鉄只見線がつながって「只見線」誕生

ここからJR只見線の歴史、さらには見どころを駆け足で。只見線は福島側からの会津線、新潟側からの只見線の国鉄2線区が路線を伸ばし、田子倉ダム(福島県只見町)建設の資材輸送用鉄道を介して、一つの線区になりました。

会津若松―小出間の全線開業は1971年8月。只見線は2021年に開業50周年を迎えました。SL全廃は1974年と比較的遅く、オールドファンにはカメラやテープレコーダーを片手に、ドラフト音を追いかけた方がいらっしゃるかもしれません。

国鉄民営化後、2001年10月に全線開通30周年記念として「SL&DL会津只見号」が運転されたことも。2020年からは、会津若松―会津川口間にキハE120系、只見―小出間にキハ110系が運行されます。

只見川をせき止めた人造湖

田子倉ダムの天端部(写真:s.suzuki / PIXTA)

只見線を代表するスポットが田子倉ダム。只見川をせき止めて誕生した人造湖で、水力発電所として日本最大級。鉄道は只見駅が最寄りですが、ガイドブックに「タクシー15分」とあるので、時間的に余裕をみた方がいいかも。

撮り鉄の皆さんは、日本の原風景・会津の里を行くローカル列車に魅力を感じるでしょう。会津蒲生―只見間の秋、名産の「みしらず柿」の下を走る列車が撮影できます。みしらずの語源は「身の程知らず」。たわわに実を付ける柿の木から発想しました(みしらず柿の語源は諸説あります)。

只見―大白川間の六十里越トンネルは、全長6349メートルの長大トンネル。1971年の開通で、これで只見線が全通しました。

会津地方は、温泉郷として全国に知られます。只見線沿線にも、柳津、西山、宮下、早戸、大塩、只見といった温泉郷があります。

全線運転再開当日は記念列車も

ラストは、JR東日本仙台、新潟の両支社が2022年7月13日に発表した会津川口―只見間復旧後の新ダイヤ。全通する下り直通列車は会津若松発が6時8分、13時5分、17時、上り小出発が5時36分、13時12分、16時12分の合計6本。会津若松―会津川口間、只見―小出間で一部列車の時刻や両数を変更、会津若松―只見間でワンマン運転を開始します。

全線再開の10月1日は、記念列車の運転や沿線自治体と連携した記念セレモニー、イベントと盛りだくさん。JR東日本は、奥会津の四季折々の魅力を体感できる特別ツアーを企画しています。ツアーの詳細は、ぜひネットで検索してみてください。

記事:上里夏生

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