<南風>我が青春のハワイ

 人生を振り返ると我が青春の峰は日本復帰の年を挟む前後の数年であった。

 1969年、当時の在沖米国民政府が実施していた米国留学試験に合格し、翌年ハワイ大学大学院に入学した。ホノルルのメインキャンパスは緑豊かで、爽やかなプルメリアの香りが漂い、芝生の真上には美しい虹が架かっていた。

 政治学を専攻した。指導教授は「これまで沖縄からは政治学専攻の院生が6名入学したが、修士号を取得した人はまだいない。あなたがその第一号になりなさい」と激励した。

 最初の学期は国際法と国際関係論を選択した。両講座ともゼミ形式で、教授の出す課題をおのおのの学生が独自に研究し、口頭発表、クラス討議を教授が講評した。いくつもの小論文と期末論文提出が課され、寝る間もないほどの厳しさだった。院生用の図書館にこもり、徹夜徹夜で最初の学期を乗り切った。しかし厳しい中でも週末の夕方には英語の発音もまちまちな学友たちとビールを片手に熱く議論を交わした。

 秋学期に沖縄から新たに3人の米留生がやってきた。そのうちの一人は東京の女子大出身で日英両語の言葉遣いが美しい、すらりとした女性で、私は彼女に恋をしプロポーズ、出会いから3カ月後の71年1月に双方の学友たちに祝福され結婚式を挙げた。

 72年5月初旬、ワイキキシェルで開かれた学位授与式で政治学修士号を授与された。同年5月26日に私たち夫婦に女の子が生まれた。「復帰っ子」である。その後、博士課程に進み、政治学部助手と社会科学研究所の研究員となり、多忙と充実の学究生活の中、73年3月、博士課程を修了した。

 24歳独身でハワイにたった私が、復帰後の73年に帰沖した際には妻と子を伴っていた。ハワイでの3年余こそ、私にとって疾風怒濤(どとう)の青春時代である。

(澤田清、澤田英語学院会長 国連英検特A級)

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