長崎大水害を表す言葉

 災害を言葉で表すのは、被害が甚大なほど悲しくつらい。また、文学的に表現しようとするならば一層困難さが伴う。40年前の長崎大水害後の本紙郷土文芸欄をめくると、それでも書かずにはいられなかった読者の思いがにじんでいる▲歌壇では「何をもて友慰めん肉親の遺体次々に確認せりと言ふ」、俳壇で「水ありて水おそろしき夜の秋」「水害の野積畳や梅雨明ける」、柳壇で「マイホームローン残して土砂の下」-。多くの作品から悲嘆や怒り、むなしさなどの心情がリアルに迫ってくる▲50代以上だと、あの夜を鮮明に覚えている人は少なくないだろう。私は長与町の高校生だった。停電で闇に包まれ、猛烈な雨音が響いていた▲玄関前の土のうを越えて流れ込む雨水。頭や背中にたたきつける“水圧”に耐えながらスコップで排水を続けた。親が照らす懐中電灯の光が弱々しかった。同町は時間雨量187ミリを記録した▲地球温暖化の影響か、大規模な水害が近年頻発している。毎年、この時季は緊張感が漂う▲あの日、どこでどう行動したのか。何をすべきだったか。発生40年の節目に、思い出して家族らに言葉で伝えてほしい。わが家の防災の教訓にしてもらいたいと切に願う。往時の歌壇からもう一首。「中島川氾濫と退避せく声が風雨をつきて闇に響かふ」。(貴)


© 株式会社長崎新聞社