かかしの母 綾野月美さん パート1 三好市東祖谷名頃「かかしの里」

徳島県三好市、秘境祖谷の名頃集落では350体を越えるかかし達が、いたるところでユーモラスな姿で迎えてくれる。近年は多くの人々も訪れる観光の人気スポットともなっている。そんな、かかしたちの生みの親、そして祖谷の住人として様々な活動を行う、かかし作家の綾野さんを紹介する。

四国の秘境・名頃集落で出会う、かかし達

東祖谷の「奥祖谷二重かずら橋」。ここは徳島県三好市の秘境の風情ある観光地として、長い間、人気の場所だ。しかし、ここ近年は、この「二重かずら橋」の手前、車で10分ほどの、名頃「かかしの里」が多くの人々を惹きつけている。

筆者が名頃のかかしを目にしたのは、20年ほど前のことになる。奥祖谷二重かずら橋に向かっていた時のことだ。名頃集落のとある畑で、随分丁寧につくられたかかしを目にして、思わず車を停めたのを覚えている。

そして、1体だったかかしは、2~3体と畑の中に少しずつ増えていった。畑のまわりには花も植えられ、静かな集落でそこだけとても華やかだった。そして、集落を通るたびに、畑だけではなく、通りのあちらこちらにかかしが増え、そして工房もでき、さらには多くの観光客がやってくる、世界でも唯一の場所になったのを見てきた。

この「かかしの里」の原点を、かかし作家の綾野さんから直接詳しく伺おうと、名頃集落へ向かった。

集落に入ると道路のあちこちで、かかしがお出迎えしてくれる。実際の人の大きさなので、いつでも、まるで村人たちにあたたかく歓迎してもらっているような感じがする。

「かかしの里バス停」付近に着くと、かかし作家の綾野月美さんが笑顔で迎えてくれた。

(※バスの停まる本物のバス停は、もう少し先に行った、名頃小学校前の「名頃下」バス停)

綾野さんはご自宅外のテーブルへ招いてくれ、そこでお話をうかがうことにした。

秘境の「かかし作家」が生まれるまで 大阪での創作活動を経て故郷東祖谷へ

綾野さんはここ、東祖谷名頃集落で生まれ育ったが、大阪へ出て、2002年に故郷へ戻って来た。

大阪では人形を作ったり、陶芸の教室に10年近くも通ったりなど、今のかかしづくりや祖谷での活動の元となるような創作を楽しみながら行っていたそうだ。

祖谷に帰ってきて、綾野さんがはじめに行ったのは、もちろん畑のお仕事。ところが、種を蒔いても、蒔いても、なかなか芽が出てこなかった。鳥に種でも食べられてしまったのだろうか、とそこで考えたのが「かかし」。ひとつめのかかしは綾乃さんの父親をモデルにして作られた。

そうしたところ、近所の人たちが、本人と勘違いして挨拶をしだしたり、かかしだと分かって、驚いたり、面白がったり。

その様子を見ていた綾乃さんも楽しくなって、また一体、また一体とかかしが増えた。名頃では、かかしも立派な集落の住人。一人、一人と表した方が正しいだろう。

こうしてかかしの住人が増えていくほどに、注目が集まるようになった。

インターネットで世界から注目された、名頃「かかしの里」 きっかけはドイツの留学生が撮った動画

この、「かかしの里」が世界にも広まる転機は、2014年。ドイツから学生たちがやってきて、動画が撮影された。この動画がインターネットで公開されるや否な、世界中からの注目を集め、様々な国のメディアがやって来た。インバウンドブームも相まって、「かかしの里」は祖谷の有名観光スポットとなった。

Valley of Dolls from Fritz Schumann on Vimeo.

徳島県の秘境の暮らしを楽しむ、かかし作家の綾野さん

しかし、そんなに有名になった「かかしの里」だが、綾野さんからすると「夢にもおもわなかったから、びっくりしました。でも、私は、いつも同じ気持ち。」と穏やかな笑顔で話してくれる。

「いろいろな人達との出会いがあって、お付き合いが広がって、それはとても楽しいですよ。」と、かかしの里の暮らしを心から楽しんでいるようだ。

ぜひ、名頃のかかし達に会いに来てほしい。休憩しているかかしも、忙しく働いているかかしもいるが、畑に入って荒らしたりすることのないように十分気をつけて、かかし達をたくさん撮影しに来てみてはいかがだろうか。

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かかしの母 綾野月美さん パート2 「かかし工房」「かかしの学校」を訪ねて

かかしの里

入場無料 年中無休

(取材・文・写真: ショーン ラムジー)

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