生々しい機銃、爆撃の痕… 大村空襲被害の建物を初公開 陸自竹松駐屯地

機銃や爆撃など空襲による爪痕が残された建物の壁=大村市、竹松駐屯地

 陸上自衛隊竹松駐屯地(長崎県大村市富の原1丁目)は24日、創立70周年記念行事に合わせ、大村海軍航空隊の基地があった大正時代に建てられ、太平洋戦争中に米軍による空襲の爪痕が残る敷地内の建物2棟を初公開した。
 2棟は1923年と25年に建てられ、太平洋戦争では旧日本軍の戦闘機「紫電改」の格納庫として使用されていた。れんがの壁には機銃による弾痕や爆撃で大きくえぐられた痕が残る。出入り口付近にある金属製の柱には機銃が貫通した穴が数多く開いている。
 大村市では第21海軍航空廠(しょう)が壊滅的な被害を受けた44年10月25日の大村大空襲をはじめ、太平洋戦争末期には米軍機による空襲が相次いだ。同駐屯地によると、2棟の建物全体の傷痕も当時の空襲によるものという。

大正時代に建設され、初めて公開された建物

 建物は現在、倉庫として使われており、近くに保管していた装備品の関係でこれまで公開されなかった。装備品が本年度移転したことに伴い、関係者を招いた創立70周年記念行事に合わせて公開。見学ツアーの参加者は担当者の話を聞き、生々しい戦争の爪痕に近寄って見たり写真に収めたりしていた。
 同駐屯地司令の藤川貴章2等陸佐は「当時を語る貴重な建物で、市民の財産でもある。今後は駐屯地の歴史を知ってもらうとともに、子どもたちの教育にも活用できれば」と話した。
 地対空誘導ミサイルによる防空を担う第102高射特科隊などがある竹松駐屯地は隊員数約350人。2023年度には水陸機動団の三つ目の連隊が配備される予定。記念行事はコロナ禍のため参加者を限定し、来賓や隊員の家族約390人が出席した。


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