福山市は、海外のデニム愛好者からも注目を集める「ジャパンデニム」の、最大の生産地です。
この福山に、1か月の短期間でデニムの縫製技術を習得できるデニムスクールがあります。
さまざまなバックグラウンドを持つ人たちがデニムスクールで学び、オリジナルのデニムを縫い上げて巣立っていきました。
その数は、すでに100人以上におよびます。
江戸時代から続いてきた福山の繊維産業を次代につないでいくために、今、何ができるのか。
生産者たちが出した答えのひとつが、「HITOTOITO(ヒトトイト)」のデニムスクールでした。
HITOTOITOとは?
HITOTOITOは、福山市内にある繊維8社によるプロジェクトです。
主な活動として、1か月という短い期間でデニムの縫製技術を学べる「デニムスクール」を運営し、次代の担い手を育てています。
デニムスクール(縫製技術講座)
HITOTOITOのデニムスクールは、デニムの縫製技術や専門知識を学ぶ講座です。
デニムスクールの定員は6人。
平日の午前中3時間、または午後の3時間で、1か月間集中して学びます。
1日6時間×2週間のコースもできました。詳しくはHITOTOITOのサイトで確認を。
実技指導にあたるのは、長年生産に携わっていた高山正則(たかやま まさのり)さんです。
プロジェクトメンバーから「高山さんなら間違いない!」と推薦され、デニムスクールがスタートしたときから現在まで、優しく受講生たちを指導しています。
実技では、デニムのペンケースやトートバッグ、ショートパンツを縫って練習します。
実技だけではなく、デニムの基礎知識を学ぶ座学や、工場や企業訪問も実施。
備後絣(びんごかすり)の歴史を学ぶため、「福山市しんいち歴史民俗博物館」を訪れて、実際に使われていた古い織り機や、絣の実物を見学する時間も組まれています。
1か月間さまざまな方向からデニム作りを学び、自分サイズのオリジナルデニムパンツを縫い上げて卒業していくのです。
ワークショップ&プロモーション
「モノづくりの楽しさをもっと多くの人に知ってほしい」
「繊維産地としての福山の魅力や、製品の素晴らしさを伝えたい」
その想いから、HITOTOITOでは気軽に参加できるワークショップや、イベントでのPRなども実施しています。
2020年10月に実施した、トートバッグ作りのワークショップは大人気でした。
2019年12月にはルクシアタ福山に出店し、絣のガーランドやしおりの販売などをおこないました。
備後絣からデニムへ
福山の繊維産業の歴史は、江戸時代に始まります。
福山藩の初代藩主・水野勝成(みずの かつなり)が綿花の栽培を奨励し、芦田川流域ではたくさんの綿花や藍が栽培されるようになりました。
その後、備後地方で絣の技術を考え出したのが、富田久三郎(とみた きゅうさぶろう)です。
富田は絣の製法を周りの人に惜しげもなく伝え、絣織りが農家の副業として広まっていきました。
こうして備後地域では絣の生産が増えていきます。
やがて人気の高まりとともに製造工程の分業化と機械化が進んで、大量生産も可能になりました。
福岡県の久留米絣、愛媛県の伊予絣とともに、備後絣は「日本三大絣」と呼ばれたのです。
1960年には備後絣の生産量がピークとなり、絣を織る会社だけで250社、関係する会社は1,000社以上もありました。
参考資料:「備後絣」 福山市しんいち歴史民俗博物館
ところが、時代の変化とともに絣の生産は減少していきます。
「絣で培った染色や織りの技術を、現代に活かせないだろうか」
考え抜いたメーカーが見出した活路が、デニムやカジュアルウェアなどの生産でした。
現在、デニム生地生産では福山が国内シェアの7割以上を占めています。
しかし、海外の安価な繊維製品との競争や、高度な技術を持つ職人の高齢化など、産地福山の課題はまだまだ山積みです。
その課題に向けて、繊維工場の経営者たちが立ち上がってできたのが、HITOTOITO。
HITOTOITO事務局の黒木美佳(くろき みか)さんに、お話を聞きました。
HITOTOITO事務局 黒木美佳(くろき みか)さんインタビュー
株式会社ディスカバーリンクせとうちの黒木美佳さんは、メンバーたちの意見を取りまとめたり、デニムスクールの受講生たちに明るく声をかけたりして、運営を引っ張ってきました。
「繊維産地継承プロジェクト委員会」発足
──HITOTOITOは、福山の繊維工場が集まって作ったプロジェクトなのですね。
黒木(敬称略)──
そうです。始まりは2016年、縫製工場の経営者が集まっての勉強会でした。
福山の繊維産業には素晴らしい技術があります。
しかし、高い技術を持った縫製職人たちが高齢化していて、後継者が足りません。
若い人たちに縫製の仕事を伝えていかなくては、との思いがありました。
そこで、勉強会に集まったなかの数社で「繊維産地継承プロジェクト委員会」を作ったのです。
──それがHITOTOITOですね。「人と布」や「人と服」ではなく「人と糸」なのには、どんな想いが込められているのでしょうか。
黒木──
製品を作るための最初の工程は、糸を紡ぐことです。
連綿と続いてきた歴史の糸、人と人との絆やつながりも大切にしたい。
そこで「ヒトトイト」と名付けました。
──つながり=糸、なのですね。ところで、こちらのデニムスクールは、はじめからこのスタイルだったのですか。
黒木──
いいえ。実は最初は、参加者がお金を払って勉強する「スクール」ではなく、縫製技術を学ぶ「研修生」を募集するスタイルを取っていたんです。
そもそもは、後継者を育成して繊維産業へ就職してもらうことが狙いでした。
──そうだったんですね。しかし、研修後は絶対に就職しないといけないのでは?と思われそうな気がします。
黒木──
まさにそれで、けっこうあやしまれたのかもしれません。
それでもなんとか2人が参加して、2018年に「技術者研修」としてスタートしました。
場所は加富屋(かどや)株式会社さんの工場の一角でした。
参加した2人はまったく縫製の経験がなかったのですが、1か月でデニムが縫えるようになったんです。
それで私たちもこの事業に自信を持ちました。
その後、福山市から助成金をいただいて、ホームページやパンフレットの作成やデニムスクールの運営などにあて、次の準備をしていったんです。
誰でも参加できる「デニムスクール」に
──ホームページやパンフレットがあると趣旨を理解してもらいやすいですね。では、2回目は多くの受講者が集まったのでしょうか。
黒木──
2回目からは、繊維産業に就職したい人だけではなく、デニムについて学びたい人は誰でも参加できる「デニムスクール」へと、方針を転換しました。
また、テキスト代として3,000円をもらうようにしたのです。
このやり方で、4人が集まりました。
デニムスクールでは、卒業後に繊維関係の就職を希望する人に向けた情報提供も行なっています。
1期生のうちの1人は、委員会の会社に入社しました。
2期からは定員の6人が集まるようになり、午前の部と午後の部に分けて実施することにしたんです。
テレビの取材が来るようになったり、企業の研修として利用されるようになったりと、だんだん認知度が高まりました。
──順風満帆ですね。
黒木──
けれども、3期を終えたところで新型コロナウイルス感染症が広がって、加富屋さんの工場を使えなくなってしまって。
ちょうど私たちの会社が移転を考えていたタイミングでもあったので、1階を会社、2階をデニムスクールにできる、この場所に移りました。
ここで始まった4期目からは見学や視察の対応もできるようになり、結果的には良かったですね。
──では4期目からまた、雰囲気が変わってきたのですか。
黒木──
はい。助成金もなくなり、自走しなければならなくなった時期と重なります。
3,000円では運営できないので、受講料をいくらにしようかと、かなり悩みました。
結局、デニムパンツだけではなく、ペンケースやトートバッグなども縫えるようにして、テキスト代10,000円、材料費25,000円の計35,000円に。
受講料が10倍になって受講生が集まるだろうかと心配しましたが、多くの人が参加してくれました。
2022年7月現在の受講料は、計45,000円(税別)です。
卒業生の進路は?
──2018年から2022年6月まで、13期にわたってデニムスクールが開催されてきました。どんな人が参加して、どんな道へと進んでいるのでしょうか。
黒木──
最初はほとんどが女性でしたが、男性の参加も増えてきました。
ビンテージデニムの愛好家や、学校の先生だった人、イラストレーターやスタイリストなど、参加する人の背景や職業はさまざまです。
卒業生の1割ほどが、繊維関係の仕事に就いています。
残りの9割も、いざというときには助けてくれる存在です。
──具体的にはどんなことで助けてくれるのですか。
黒木──
自分のカフェにチラシを置いてくれる人、忙しいときに内職を引き受けてくれる人、イベントを手伝ってくれる人などですね。
大掃除をするときに集まって、期が違ってもそこで仲良くなっていく人たちもいます。
そこから仕事でのつながりを作っていってくれているのを見ると、うれしいですね。
できればもっと、そういった交流を増やしたいと思っています。
──まさに、人と人との糸がつながっていく、そういう場所にということですね。
黒木──
そうです。卒業生に聞くと、ここでデニムの縫い方を習った1か月は、それだけで終わりではないのだと。
それぞれの人生のなかのひとときの、ちょっとした時間にすぎないけれど、それがその人の、人生の糧(かて)になっているんです。
やはり、活動の根源は人と人。
つながりが広がっていけばいいなと思っています。
13期生までで、卒業生は100人になりました。
卒業生のなかには、デザイナーとなった人や、革職人、バッグの作家もいます。
卒業生たちの活躍で、HITOTOITOを知ってくれる人が増えてきました。
県外や海外から参加する人もいるので、民泊の用意もしています。
2022年7月には、フランスからの参加者を迎えました。
彼はジャパンデニムが大好きで、そこからデニム産地の福山を知り、私たちのSNSをずっと見てくれていたそうです。
卒業生のお話
がまぐち作家の山田恵(やまだ めぐみ)さんにお話を聞きました。
「ここでプロの縫製のコツを教わってから、バッグを縫うスピードがあがりました。ちょっとしたコツでまったく変わるんです。県外のイベントに参加したときには、HITOTOITOの卒業生だという人が訪ねてきてくれました。そんなつながりができたのも、ここで学んだおかげです」
海外の愛好者が絶賛するデニム生産地福山の特徴とは
──海外のデニム愛好者もジャパンデニム、中でも福山のデニムに注目しているとのことですが、生産地としての福山の強みは何でしょうか。
黒木──
世界中に名を知られているラグジュアリーブランドのデニムも、福山で作られています。
ブランドの求める一流の品質に応えられる、高い技術があるのが福山です。
そして、その品質と技術で世界中の人を魅了しています。
製品ができるまでの工程の一つひとつを、それぞれ専門の会社で分業しているのも、福山の特徴です。
糸を紡ぐ、布に織る、型紙を作る、裁断する、縫い上げる、ボタンや鋲(びょう)を打つ、染色する、洗い加工をする、仕上げをするなどの工程を、それぞれの専門工場の職人たちが手掛けています。
しかも、それらの工場が近くに集まっている産地は全国的にも珍しく、他は1つの工場ですべての工程をおこなうか、あるいは、専門工場が遠く離れているところがほとんどです。
──それぞれが専門に特化し、分業しているからこそのクオリティ、ということですね。
黒木──
はい。ですからこの備後デニムを、もっと知ってもらいたいと思っています。
この技術そのものが商品です。
自分の手で作り上げる喜びを体験してもらったり、産地見学をしたり。
今後、企業向けにオーダーメードで組んだ研修や、海外のデニム愛好者の人に向けたツアーも企画しています。
人と糸の歴史と文化を伝え、人と人とをつなげる
福山は、高度な技術を持って高い品質のモノづくりを行う、世界でも類を見ない繊維産地です。
100人の卒業生が縫い上げた100本のデニムには、100本のストーリーがあります。
そのストーリーを一度に展示してみたいと、黒木さんは微笑みました。
人と糸とが作ってきた歴史と文化。
人と人とのかかわり。
糸と糸とが交わって絣の模様ができていくように、福山の繊維産業にかかわる人たちが交わって、これから誰も見たことのない美しい模様の布を織り上げていくのかもしれません。