公式戦に一度も出られなかった補欠の元高校球児、米大リーグ・コーチ昇格の夢かなえる   サンフランシスコ・ジャイアンツの植松泰良さん、3Aのインターンからブルペン捕手の下積み15年経て

 2021年11月、米大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツに所属する植松泰良さんはまた一つ、目標をかなえた。2006年に傘下3Aチームのインターンとして入団して15年、ブルペン捕手からアシスタントコーチに昇格した。「守備だったら1点でも失点を少なくすること。打撃なら1点でも多く取れるような作戦を任されている」。甲子園出場にあこがれた元高校球児。公式戦に一度も出られない補欠だったが、野球に携わり続けたいという熱い思いを貫き、大リーグでは夢を叶えることができた。38歳の新米コーチは責任の大きさを感じながら、充実した時間を過ごしている。(共同通信ロサンゼルス通信員=山脇明子)

試合前の練習を見守るジャイアンツのアシスタントコーチの植松泰良さん(右)=2022年5月

 ▽レギュラーになれなかった高校時代

 2001年の全国高校野球選手権出場を懸けた千葉大会3回戦。優勝候補の一角に挙げられていた西武台千葉高の夏が終わった。その瞬間をベンチから見守った。公式戦に一度も出場することなく、幕を閉じた高校野球。「試合に出る可能性は1%もなかったと思う。自分の力のなさを感じていたので、レギュラーで試合に出られると思ったことは一度もなかった」 3年間は「いろんなつらい経験をした」という。それでもやめなかったのは子供の頃から変わらない野球への思いと、大学まで野球をやっていた父の影響があった。

 父は、小学3年生で始めた少年野球チームの監督でもあり「すごく厳しくされた」という。ただ休みの日に練習を強制されたことはなく、逆に「自分がやりたいと言えば練習にはいつも付き合ってくれた」。大きなサポートを受け、野球への情熱を強くした。

 甲子園を狙える高校で挑戦を続けた3年間。「自分の実力がよく分かった」と振り返るが、その後の人生の基礎を築く貴重な時間になった。 ▽母の勧めで米留学 高校卒業後も「何らかの形で野球を続けたい」と考え、父も賛成してくれた。しかし母には「ここで区切りをつけたら」と言われ、米留学を勧められた。英語の勉強が好きだったこともあり決意。カリフォルニア大サンタバーバラ校を経て「野球選手に一番近いところで働けたら」と、トレーナーを目指して南イリノイ大カーボンデール校に進学した。3年の時、野球部と関わった実習で、学生トレーナーという立場ながら高校時代も経験したブルペン捕手を務め、再び白球に触れる楽しさを味わった。「大リーグの試合を見に行ってもブルペン捕手が目についたし、この仕事ができたら最高だなと思った。自分もあそこ(大リーグ)に行けるんじゃないかと思い始めた」

 

3度目のオールスター戦参加を果たしたジャイアンツの植松ブルペン捕手(当時)=2015年7月、シンシナティ

卒業が近づいた2006年、ジャイアンツがマイナーでブルペン捕手を探していると聞き、迷いなく行動に移した。インターンになり「自分にできるアピールは全部した。オフシーズンもジャイアンツの人と話し続けた」。念願かない、ジャイアンツでブルペン捕手として働くことが決まった。

 ▽メジャーリーガーに救われた

 メジャーリーガーの球を受け、打撃投手もこなす日々。肘を痛めて投げられなくなったとき、救ってくれたのはサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)投手のバリー・ジトだった。自らが通う治療院を予約し、驚くことに費用も払ってくれた。 ボールが投げられなくなれば解雇される恐怖を感じていたが、ジト投手はそれを知り、自ら動いて治療を受けさせてくれた。「そこまで気を使えるのがトップクラスの選手だと感じた。自分もそういう人間になっていきたい」と誓った。

 オールスター戦でも3度ブルペン捕手を経験し、他のトップ選手にも触れた。感じたのは「野球の技術以上に人間性。周りに気遣いができて、細かいことでいちいち腹を立てたりしないおおらかさ」だったいう。「そういう面での学びが野球よりも大きかった」と、成長の糧にした。

ワールドシリーズ優勝を記念した指輪の贈呈式で、ボウチー監督(右)から指輪を受け取るジャイアンツの植松ブルペン捕手(当時)=2015年4月、サンフランシスコ

 ▽新監督に夢を聞かれ転機に

 自らの存在を認めてくれ、心から尊敬していた名将ブルース・ボウチー監督が2019年を最後に勇退。プロ野球巨人でプレー経験があるゲーブ・キャプラー監督が就任し、転機が訪れた。新監督に今後の夢を問われた際、「(野球に携わる仕事に就く)小さい頃からの目標をかなえたので今はまだ見つかっていない」と答えたが、これが将来を考えるきっかけとなった。

 「コーチになりたい」。固まった気持ちをキャプラー監督に数度、伝えた。2021年シーズン終了後、球場のジムでトレーニングしていると監督室に呼ばれ、アシスタントコーチ昇格を告げられた。支えてくれた妻と両親にすぐに連絡した。「スタートラインに立てた」。喜びがじわじわと込み上げてきた。

 ▽次の目標へ

 キャプラー監督はコーチに抜てきした理由を「努力家で勤勉。責任感もあるし、多くのコーチが見ていないところを見ている。とても頭がいい」と説明する。試合前には外野守備コーチの補佐をし、試合が始まると代打で出場する選手の打撃投手を務める。

 試合前の練習を見守るジャイアンツの植松アシスタントコーチ=5月4日、ロサンゼルス

「長い間ここで働かせてもらっているので、仕事が変わったからといって大きな気持ちの変化はない。ただ100%任されている仕事もあるので責任を感じるし、どれだけチームに貢献できるかということを考えてやるようにしている」と力を込めた。

 ほっとするのは自宅での何気ないひととき。「出会ってから人間として成長できた」という妻と、3歳の娘に癒やされ「目標に向かって一生懸命やっていることで、家族を支えられるということは最高」と目を細める。

 一歩階段を上り、また違う景色が見えてきた。「ベースコーチをやりたい。南米のウインターリーグとか、アリゾナのフォールリーグで機会があれば経験を積みたい」。補欠だった元高校球児は、大リーグという世界最高峰の舞台でさらなる大志を抱いている。

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