「選手を育てるのは監督。コーチじゃない。起用しなければ成長はない」元近鉄外野手の土井正博さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(5)

試合前の練習で鋭い視線を送る土井コーチ(右)=2011年、西武ドーム

 プロ野球のレジェンドに、現役時代やその後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第5回は元近鉄外野手の土井正博さん。西武の松井稼頭央ら、球界を代表する打者を数多く育てた名指導者としても知られ、その持論には説得力がある。(共同通信=栗林英一郎)

 ▽身長から100を引くのが理想の体重

 

高校を中退して近鉄に入団した土井さん。18歳の時の打撃フォーム=1962年

 僕は大けがをしなかったし、昔の人やから捻挫ぐらいならテーピングをして試合に出た。休んでいる間に他の選手に追い抜かれることが頭にあるので。誰か1人が(控えに回って)泣いてるわけです。そういうことに自分がならないように、もう休んだらあかんと。常に全試合に出ることを目標にキャンプから体をつくっていった。 

 僕らの時代は筋力トレーニングの器具がなかったので、バットを振って力をつけ、タイヤを引っ張って足腰を鍛えた。今のようにトレーナーがつくようなことはなかった。自分で自分の弱いところを鍛えたのが、バランス的には良かった。 

 何で膝をやられるか、選手のみんなは、しっかり意識を持たんと。理想体重というのがあるんです。スポーツ選手なら身長から100を引く。180センチだったら、80キロなんです。ところがウエートトレーニングで100キロまで上げてくるわけでしょ。20キロを膝と腰で負担しないといけない。それだけの物を持って走りまくったら、膝が悲鳴を上げますよ。
 

 

西武のコーチ時代の土井さん(左)。清原和博の打撃練習を見守る=1996年

 清原和博の一番ええ時は188センチ、88キロやったんです。スリムでね、体に切れがあった。ところがウエートをがんがんして、100何キロ。そしたら膝をやってしまった。まだまだできる選手が、体がごつくなったら飛ぶやろうという考えで、みんな膝をやられてしまう。何しろ切れのいい体をつくるということなんです。適度なバランスのいい体をつくれば打球は飛んでいく。柳田悠岐や山田哲人とか、体の横幅はそんなに大きくないでしょ。そういう選手を見本にしないと駄目。
 それからバッターがあんまりバットを振っていないから脇腹をけがしてしまう。ここをやってしまうとバットが振れなくなる。太い筋肉じゃないから弱い。和田一浩なんかは食事面を先生に教わって、自分の体をサポートした。だから大したもんや。大学、社会人へ行ってプロでも2千本なんて、とてつもない記録。意識的に全然違う。彼は自分の体を大事にし、あれだけフルスイングしながら故障もすごく少なかった。

 
 **▽教え込まれた選手は指導者がいなくなるとつぶれる
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太平洋時代に日本ハム戦で本塁打を放つ土井さん。=1976年、平和台球場

 2千安打近くまで、よく頑張っているなというのが中島宏之。西武に入団してきた時は、そこまでできるタイプじゃなかった。定位置のポジションがどのぐらいで取れるかと思ったほど。ここまで打てたというのを褒めてやらな。頑張り一つで、だいぶ努力したんじゃないか。あとは負けん気が強かった。そういうやつらを指導してきたから、僕らコーチは楽やった。松井稼頭央もそう。どこまで辛抱して練習してくれるかというところでね。あんまり大きくない体で2700安打したんやからすごい。
 松井の足を生かさない手はないと思ってスイッチにした時、福本豊に聞きに行かせた。福本が教えてくれたのは思い切り振ること。当て逃げにいくようなバッティングはあかんと。松井はどっちを選択するんだと聞かれて「思い切り振ります」と。だから彼はシーズン30本以上ホームランを打った。当て逃げ屋で首位打者は取れたかもしれんけど、三つのポジションであれだけの選手になれたのは、彼の選択が良かったんだと思う。
 自分で見て(技術を)盗んで、実行するなら自分を絶対見失うことはない。頭から徹底的に教え込まれると、コーチがおらんようになったら、その選手はつぶれてしまう。親がパズルを買うてきた時、子どもがどうしたらできるか迷うと、お母さんが解いてやるやないですか。せやけど「あんたに買うてきたんやから、あんたがちゃんと説明書読んでやんなさい」と言わんと。そうしたら自分でコツをつかめるんですよ。
 選手は自分の尊敬するプレーヤーに自主トレにでも連れていってもろうたらええんです。そこで何か盗んできなさいと。浅村栄斗も中島に付いていって、いろいろなことを授かった。中島は僕らが教えたことを伝えてくれるんですよね。自分の練習を見とけと言うて、じーっと見てたら質問が出てくるでしょ。それにパッと答えてやればええわけ。

 ▽選手はコーチではなく監督が育てるもの

 選手を指導する時は、監督に「3年見てください」と言った。僕が扱った選手は高校出が多かった。高校出の子は3年は見てやらんと。1年目でつぶれたやつは、なんぼでもおる。ええもんを持っていても練習嫌いで、しんどいのは嫌というね。素質だけでやってきて、サボり気味で自信を持っている者はみんなつぶれていく。
 

土井さん(左)は中日でも打撃コーチを務めた=2017年

 ドラフトの指名順は栗山巧が4位、松井は3位、中島なんか5位ですから。そこからしっかり練習して死ぬ思いでやってきた。そういうことが後から開花した。開花せんやつは、どっかで手抜きをやってます。目に見えないところでね。野球を自分の商売にするためには3年間は辛抱しないと。1年ぐらいは誰でもできる。そのあと2年努力すれば一流になれます。
 僕は自分が18歳の時から無理やり試合で使ってもらったから、使いさえすれば絶対出てくるなという若手の判断はできる。選手は僕らコーチが育てるんじゃないんですよ。監督が育てるんですよ。僕は育てたと思うたことは一度もない。監督が起用せんかったら選手なんて成長しない。西武で4度、中日で1度コーチをしたが、これやっていう者をみんな使ってくれた。監督はやっぱり自分の成績のことがあり、当たらんかったら次の選手にどうしても代えたい。僕らは代えられたらあかんから、将来のこと見越して推すやないですか。だから監督ともめることはかなりあったが、仕事と割り切った。その子が活躍するようになればええわけやから。監督も、もうちょっと長く務めさせないと。1、2年では思い切った改革もできないし、気の毒。野村克也さんがよく言っていた。花はね、種をまいて水をやらないと育ってこない。時間がかかると。
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土井さんは今年12月で79歳に

 土井 正博氏(どい・まさひろ)大阪・大鉄高(現阪南大高)を中退し、1961年に近鉄入り。62年に18歳で当時の別当薫監督に4番を期待される。太平洋クラブ(現西武)へ移籍した75年に本塁打王。豪快な引っ張り打法で77年7月に2千安打を達成。通算2452安打、465本塁打。81年に引退後、西武で打撃コーチとヘッドコーチ、中日でも打撃コーチを務めた。43年12月8日生まれの78歳。大阪府出身。

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