虐待・DV・貧困に苦しむ女性が駆け込める奇跡のカフェ 住まい提供、生活保護の手伝い、日中の付き添いも

カフェの入り口。「手仕事の日」「縁側の日」など日替わりのイベントが書かれている(一部加工しています)

 ドメスティックバイオレンス(DV)や虐待、貧困に苦しみながら、誰に助けを求めていいか分からない。そんな女性たちが駆け込むカフェがある。運営する関東地方のNPO法人はシェルターや生活の場を提供し、女性が自分の人生を歩めるようになるまで寄り添う。さまざまな困難を抱えた女性への支援を強化する新法が5月に成立したが、自治体の態勢整備や支援を担う人材の育成、民間団体との連携など課題は多い。活動からヒントを探った。(共同通信=金子美保)

 ▽リストカット、過剰摂取、生きづらさ感じて

 関東地方の閑静な町並みの一角に、ガラス張りのカフェがある。自宅のリビングのような落ち着いた空間。中央に白いテーブルがあり、周りには女性物の服がかけられたハンガーラックや、食品が入ったかごも。かばん一つで逃げてきた女性や、生活が苦しいシングルマザーらのためのものだ。

入り口近くにさりげなく貼られている相談案内

 コーヒーを飲みながらくつろぐ女性、ミシンで自分用のエプロンを縫う女性、スタッフと打ち合わせに来た自治体のケースワーカー、地域で別のボランティア活動をする人たち…。多様な人が立ち寄る。
 奥の台所で遥さん(32)=仮名=が料理をしていた。「1人暮らしだと作るのが面倒なものを食べてもらいたくて」。この日のメニューはポテトコロッケ。丁寧に衣を付け、きつね色に揚げていく。カフェを訪れたNPOの利用者やスタッフに振る舞う。その左腕には、いくつものリストカットの跡が残っていた。

カフェの利用者やスタッフの昼食を作る遥(仮名)さん。左腕にはリストカットの跡が残る

 大好きな母親を亡くした寂しさから高校生の時、自傷行為を始めた。精神科で処方された薬を過剰摂取するオーバードーズも試した。「生きたくなくなって、ママのところに行けるかなって」。人間関係や仕事がうまくいかない時、現実逃避したい時、リストカットを繰り返してしまうという。
 23歳で結婚。妊娠したが、出産や子育てにかかる費用を知った夫は「そんなに金が必要なら」と中絶を求めた。酒を飲むと性格が変わってしまう夫との生活は1年で終わった。
 28歳の時、別の男性と再婚。子どもを望む夫のため、不妊治療に取り組んだが、夫は自分の機嫌次第で通院をキャンセルすることも。体への大きな負担、治療が前に進まない焦りや喪失感。「子どもができにくい体だと知ってたら、結婚しなかった?」と、ある日、夫に尋ねた。「うん」。平然と答えた夫に絶望し、家を出た。

カフェの利用者やスタッフの昼食を作る遥(仮名)さん

 実家に居づらくなり、知り合いの家を転々とした後、この場所にたどり着いた。離婚や住まいについて相談し、近くにアパートを借りることができた。「今ではここが自分の居場所。寄り添える仲間がいて一緒に仕事ができるのは励みになっています」とほほ笑む。

 ▽顔を20回殴り「治るまで外に出るな」、見つけた「心が自由になる場所」

 カフェで昼食を取る留美さん(36)=仮名=は夫のDVから逃れてきた。最初は束縛が強いだけだと思っていたが、そのうち「食事がおいしくない」「僕を愛していない」と暴力が始まる。

カフェの昼食

 その夜は、20回以上顔を殴られた。薄目を開けると鏡に映った自分の顔が見えた。鼻血が出ている。目は腫れ、青紫の大きなあざができていた。「治るまで外に出ないで」。今までになく優しい声でささやく夫が怖くなった。
 夫は傷害容疑で逮捕されたものの罰金刑で終わり、元の家に住み続ける。留美さんは警察に勧められた公的シェルターに3週間ほど滞在した。その間に次の住まいを見つけたが、縁もゆかりもない土地での生活に不安を感じ、相談に訪れた。
 夫との離婚はまだ成立していない。住宅ローンなど借金もある。やらなくてはならないことが山積みだが、動き出せない。「傷は癒えたと思ったけれど、やっぱり疲れていて一休みしたい。ここは心が自由になれる場所」。そう話すとコーヒーを口にした。
 カフェで他の利用者らにコーヒーを出していた40代の朱里さん=仮名=は10年以上、夫の暴力やモラルハラスメントにさらされてきた。「お父さん(夫)の中でしか、生きていけないと思っていた」と振り返る。
 結婚して数年後、交通事故に遭った。脳に障害が残り、普通にできたことができなくなった。家族の食事作りなど必死に家事に取り組んだが、おぼつかない。夫の暴力も「できない自分が悪いから当然だ」と思っていたという。
 暴力は子どもにも及んだ。座らせて怒鳴る、蹴るを繰り返す。児童相談所に一時保護されたこともあるが、夫は「子どもを返してほしいなら、俺の言う通りにしろ」と朱里さんに命じた。生活費も渡されなくなった。「地獄って、これだ」
 自治体の紹介でこのNPO法人を知った。「もっと早く出合っていたら、人生が違っていたかも。今は、ここでアドバイスを受けながら、自立して生きていくことを目指しています」と朱里さん。「自治体やいろんな役割の人が協力して、こんな場所を全国につくってくれたらいいですよね」と落ち着いた表情で話す。

 ▽「怖さや逃げられない感覚が体感として分かる」

利用者の女性から家族についての相談を受ける遠藤良子さん

 遥さん、留美さん、朱里さんが慕い、頼りにするのが、活動の責任者を務める遠藤良子さん(72)だ。以前から自治体の女性相談員を務める遠藤さんは、DVから逃げた女性が見知らぬ土地で支援を得られないまま孤立し、加害者の元に戻ってしまう現実を見てきた。自身も夫の暴力を受けた経験があり「その怖さや逃げられない感覚を体感として分かった」
 逃げた後に隠れるだけではなく「次の夢を広げる支援」をしたいと2015年、法人を立ち上げた。どんな相談にも応じ、本人の希望に添ったサポートをしていく。
 例えば、用意している住まい。用途は限定せず、緊急時に避難するシェルターでも、次に踏み出すまでのステップハウスでも、ついのすみかにしても構わないという。「本人が望む暮らし方でどうぞ、と。こうしろ、とは一切言いません」。生活保護の申請も手伝い、その中から家賃を支払ってもらう。
 

遠藤さん

 支援拠点を地域に開くことにもこだわった。加害者に見つからないよう身元を隠すことが多いDV支援では異例のこと。当初は関係者から反対された。オープンにすることで「あなたは悪くない。堂々としていればいい」ということを示すと同時に、地域の人たちとのつながりを生んでいく。
 「孤立感と寂しさが加害者を引き寄せる。本人が『この時』『この場所』が大切だと思える今をつくることが重要。人を守るのは人なんです」と遠藤さん。「家や施設に囲われてきた人」は外に出るのが怖くなる。「社会から隔絶された人をどう社会に戻すのか。そのための仕掛けが必要」と言うが、カフェはその「仕掛け」になっていた。

 ▽背景に逃げた女性を「悪い」という社会

 全国の警察や支援窓口に寄せられたDVや性暴力の相談件数、女性の自殺者数…。新型コロナウイルス禍で女性が直面する深刻な問題は、国の統計にも表れた。
 このNPOでも、電話やメールで受け付ける相談がコロナ禍前の1・5倍以上に増加。今年6月までの1年間は、平均で月100件を超えた。DVでは暴言や脅しなどの心理的攻撃や、生活費を渡さないといった経済的圧迫など「見えにくい」被害が増え、妻の目の前で子どもに暴力を振るう事例も目立つ。
 子どもの頃から虐待を受けながら成人し、ひきこもりになった30~40代の女性が、ある日突然逃げてくるケースも。「彼女たちを助けるところはどこにもない。母や妻の役割をきちんと果たしていない女性を『駄目な女』と見る社会の目が、長らくあった。社会的背景があって困難な状態に陥っても、本人が悪いと言われやすい」と遠藤さんは指摘する。
 従来、女性の相談対応や一時保護などの「婦人保護事業」は、1956年に制定された売春防止法に基づいて実施されてきた。売春する恐れのある女性の保護更生が目的だったが、DVやストーカーの被害者、生活困窮者にも対象を広げてきた経緯がある。
 しかし、近年は若年層を狙った「JKビジネス」や「アダルトビデオの出演強要」を含め、問題が複雑化。売春防止法を根拠とした運用は時代に合っていないとの批判を受け、女性支援の新法が成立した。当事者を指導や管理の対象とする視点を脱却し、女性の福祉増進と人権擁護を基本理念とする。

 ▽一人一人が本当に必要とする「パーソナルサポート」が軸

 遠藤さんは「法律をどう生かすのかが大事。その人のことをしっかり尊重するんだというまなざしを持ち、どんな人も排除せずに悩みを受け止めてほしい」と話す。人としての尊厳を守るという理念を形にするのは難しいが、一人一人が本当に必要とする「パーソナルサポート」が軸になると考える。

スタッフと話す遠藤さん

 一方で「最近は、支援に必要なのは寄り添う心より、運転免許だと言っているんです」と笑う。実際、相談窓口で座って待つだけでなく、動く人が必要だ。遠藤さんらは日常的に役所や病院への付き添いなど「家族だったらしてあげること」を支援の一つとして行っている。
 「でも、日中の付き添いなどは公務員には難しいだろうから民間がやるとして、人手や人件費は必要だ。行政はその裏付けとなる政策や、地域の中で誰でも助けてもらえる関係、風土をつくってほしい」

 ▽それぞれの夢をかなえるために

 ミシンを使って自分用のエプロンを縫っていた女性の声が聞こえてきた。「できたー」。寄付された端切れの中から好きな生地を選び、デザインを考え、カフェに半年通って、裁縫が得意なスタッフの手ほどきを受けながら、ついに完成させた。本格的にミシンで物を作ったのは初めてという。

ミシンを借りてエプロンを縫う利用者の女性

 やりたい気持ちはあっても、自分だけではできない小さな夢をかなえる。「わあ、すてきね」。女性を囲む優しい輪が広がる。
 その後、留美さんは新しい職場で働き始め、カフェに足を運ぶことが減った。遥さんの夢は「人の役に立つこと」。年の近い他の利用者の支えになりたくて悩みを共有したり、励まし合ったりしている。「まだまだ力不足で、へこんじゃうことが多い」と話しつつも、頼りにされる存在を目指し、日々励んでいる。
 ※この記事に登場するNPO法人はこちら

 https://www.jikka-yume.com/

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