中森明菜「少女A」本格的な再ブームは海外の若い世代からやって来るのかもしれない  ツッパリ歌謡の制作秘話。作詞家・売野雅勇の偉大なる貢献とは?

「少女A」は耽美映画「ベニスに死す」が元ネタ? 新人作詞家・売野雅勇の貢献

中森明菜のデビューシングル「スローモーション」は来生えつこ・たかお姉弟による作詞・作曲と豪華布陣で作られたが、オリコン最高30位とヒットには至らなかった(来生姉弟はその後「セカンド・ラブ」でリベンジを果たす)。当時の花形番組『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』にも出演は叶わず、二曲目の巻き返しが課題となっていた。

デビュー曲で新人アイドルのイメージを決め、二曲目はその発展形で攻めていくのが常套と思われるが、明菜プロデュース陣はここでスタッフを入れ替えて、清純派からツッパリ路線へと180度転換をすることを決意した。その原動力となったのが広告代理店出身で、作詞業を始めて僅か一年の新人・売野雅勇であった。

売野の回顧録『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』(朝日新聞出版)が2016年に出たことがきっかけとなり、大ヒット曲「少女A」成立の裏側がだいぶ明らかになっている。この本によると、明菜のデビュー当時のキャッチフレーズ「ちょっとHな美新人(ミルキー)っ娘」にある「H」の部分に触発され、「少女A」のエロチックな方針を売野は決めたようだ(明菜ではなくシノハラヨウコという実在する14歳の美少女がモデルらしく、売野は彼女に一度誘惑されただけでパンツのなかに射精してしまったというから実にインモラル)。

しかしタイトルは決まっても内容が思いつかなかった売野は、以前沢田研二のために書いたがボツにされた「ロリータ」という歌詞の設定を借りることにした。「ロリータ」はルキノ・ヴィスコンティ『ベニスに死す』を下敷きにしたもので、美少年に恋焦がれて悶死する老人アッシェンバッハの役どころをジュリーに、そして美少年タッジオを美少女に変えた内容だったという。「少女A」ではその視点を入れ替えて、たぶらかす美少女の側から見た世界観になっている。

阿木燿子の影響で生まれたサビのフック「じれったい、じれったい」

この歌詞のために最初に作られた曲はヤワすぎる反ツッパリ的内容のためボツになり、次の作曲者として指名されたのが芹澤廣明である(のちにチェッカーズの一連のヒット曲を生み出す売野・芹澤の黄金コンビは、「少女A」で運命的な出会いを果たしたことになる)。そして芹澤の三つほどの候補曲から選ばれた一つが、我々がいま「少女A」として知っている楽曲である。

しかし唸るギターイントロやメロディーは優れていても、Aメロがやたら長くサビが貧弱、かつフックは元々「ねえあなた ねえあなた」という当たり障りのない内容だったので、売野はこのフックを印象的なフレーズに変える必要があった(元々の曲は「シャガールの絵」というタイトルで、あるマンガ家が作詞した歌詞が付属していた)。

売野がサビのフックを作るうえで参考にしたのが、阿木燿子作詞による山口百恵の一連のツッパリ歌謡だった。「バカにしないでよ」という捨て台詞が印象的な「プレイバックPart2」など、「女性が啖呵を切る、捨て台詞を言う、これが阿木作品の要諦だ」と見抜いた売野は、それを応用して「じれったい じれったい」という「少女A」の伝説的フックを作り上げる。

しかしこの曲を特別にしたのは、売野ただ一人の功績ではない。ワーナー・パイオニアのディレクターだった島田雄三は、売野が書いた歌詞の一番と二番を入れ替えて、結果的に「上目使いに盗んで見ている」という魅力的な歌い出しとすることに成功。もしこの英断がなければ、「頬杖ついてあなたを想えば」という極めて凡庸な歌い出しになってしまうところだった。

作曲者・芹澤廣明の功績も忘れてはならない。馬飼野元宏によれば、この曲はまだ音程が不安定だった明菜のヴォーカルに合わせるように、音域は狭く設定して、下降旋律で作られているという。このほうが歌は安定する上、中低域が強調されることで結果的に他のアイドルとの差別化がもたらされたのだという。以後明菜のトレードマークともなる中低域のドッシリした歌唱は、「少女A」がもたらした方針だったかもしれない。

不良娘の「易碎感」——中国での明菜ブームに寄せて

とにかくこの曲をもって、中森明菜は「覚醒」していく。明菜は最初にこの歌を歌うことを拒否したという。理由は何にせよ、あてがわれたパブリックな不良イメージと、彼女の壊れやすい繊細さというパーソナルな本質がぶつかり合い、競い合い、摩擦し、(Desireのごとく)燃え上がることで中森明菜はアイドルからアーティストに成長していくのだ。

売野が作詞を手がけた明菜不良ラインの楽曲は、ハードロック調の「1/2の神話」(1983年)で一気にアダルト感が出て、細野晴臣作曲のツッパリテクノ(!)「禁区」(1983年)あたりで都会的・モード感さえ漂うようになり、黒一色のゴスロリ・ファッションでツッパリをやった「十戒(1984)」をもって完成を見る(ロリータ娘とヤンキー娘の友情を描いた嶽本野ばら『下妻物語』に20年先駆ける独自性)。

しかしこの「不良娘」のイメージの下に隠れた、明菜の繊細さを見抜いたのは意外にも現代の若い中国女性たちではないだろうか。今年に入って、美容系インフルエンサーの影響で、明菜のメイクが中国の若い子たちの間でブームになっているというネットニュースが出た。「易碎感」がキーワードらしい。これは「儚さ」を意味する中国語で、触れればすぐに壊れてしまいそうな繊細さやもの悲しい雰囲気だという。英語でいう「フラジャイル」だ。長いあいだ隠遁状態が続いている明菜の本格的な再ブームは、意外にも日本の外側、それも若い世代からやって来るのかもしれない。

カタリベ: 後藤護

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