1961年に当時のケネディ米大統領が、福井県越前市出身の国際政治学者、若泉敬氏(1930~96年)に送ったレセプションの公式招待状が7月27日までに見つかった。後に密使として沖縄返還に関わった若泉氏が、米政権中枢に築いた幅広い人脈を裏付ける資料。越前市武生公会堂記念館で開かれている企画展「世界への架け橋として 若泉敬」で8月2~15日に特別展示される。
若泉氏は当時、米ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究所の客員所員で、66年に外国人ジャーナリストとして初めて、マクナマラ米国防長官の単独会見を実現。64年に就任した佐藤栄作首相は、若泉氏の人脈に期待し、沖縄返還交渉の密使役を依頼した。
今回の資料は、若泉氏と親交があった元琉球朝日放送報道制作局長の具志堅勝也さん(67)が、関係者から入手した。ケネディ夫妻が61年5月10日にホワイトハウスで開いたレセプションに招待する内容で、3行目に「Kei Wakaizumi」と記されている。ケネディ氏は同年1月に大統領に就任し、6月に日米首脳会談を控えていた。
「評伝 若泉敬」の著者、森田吉彦・大阪観光大学教授は「当時は日米両国で対等なパートナーシップを目指す動きがあった。60年の安保闘争で傷ついた信頼関係の再建に向け、若泉氏の存在が大いに注目されるようになった」と指摘する。
若泉氏も43歳の若さで大統領になったケネディ氏に関心を寄せていたとみられ、森田教授は「若泉氏が大学時代の仲間に送った文章を見ると、ケネディ政権の活気、情熱、献身ぶりに強い印象を受けていたようだ」と話す。
若泉氏は67年から佐藤首相の密使として米高官と沖縄返還の交渉を重ね、69年に合意が成立、72年に返還された。80年に福井県鯖江市に帰郷してからも米国、英国、ソ連(現ロシア)、東ドイツ、イスラエル、中国など、冷戦のさなかにあって東西を問わず各国の大使が自宅を訪れた。