「障スポに光当てたい」最多5度目の大舞台挑む 鹿沼の宇賀神さん(73)

音を頼りに球を打ち合う宇賀神さん。見えているかのようにラリーが続いた=24日午前、宇都宮市屋板町

 29日で開幕まで3カ月となる第22回全国障害者スポーツ大会(障スポ)に、特別な思いで臨む選手がいる。本県発祥の視覚障害者の卓球「サウンドテーブルテニス(STT)」に出場する鹿沼市深津、宇賀神(うがじん)シゲさん(73)だ。競技歴27年。前身となる全国身体障害者スポーツ大会から数えて5度目の出場は県勢最多となる。「国体の陰に隠れがちな障スポに光を当てたい」。集大成として地元開催の大舞台に挑む。

 7月下旬、宇都宮市屋板町の体育施設「市サン・アビリティーズ」。卓球台の上を鈴の入った球が「ジャラジャラ」と転がる。宇賀神さんは音で軌道を瞬時に読み、ラケットを振った。

 STTは1933年、県足利盲学校の沢田正好(さわだまさよし)校長が感覚訓練のために考案した。「いきます」「はい」。試合は選手同士の声掛けで始まる。ネット下には4.2センチの隙間。音を頼りに球を転がして打ち合う。

 宇賀神さんは30代後半で光を感じる視細胞が失われる難病「網膜色素変性症」を発症し、視力を失った。人生は一変した。それでも根っからの「前向きな性格」は変わらなかった。「仲間たちと交流したい」と40代からSTTを始めた。

 初の大舞台は競技を始めて2年後の97年。大阪大会に出場したが、緊張から「手も足も出なかった」。

 2001年、「身体障害」と「知的障害」で別々に行われていた全国大会を統合し、障スポが誕生した。

 2度目の挑戦は03年、55歳での静岡大会。千葉県代表に惜敗し、銀メダルだった。「悔しくて仕方なかった」。音を拾う力とフットワークを鍛え直した。

 「集中力と持久力」を武器に、61歳で09年新潟大会に挑み初めて金メダルに輝いた。70歳で迎えた18年福井大会でも頂点に立った。

 県内で長年、障害者スポーツを牽引してきた。昨夏の東京パラリンピックを契機に、関心の高まりは肌で感じる。ただSTTはパラの正式競技にはなく、「存在を知らない人は今も多い」と残念がる。

 目標で憧れだった地元開催の障スポ出場が近づく。「障スポは国体のおまけではない」。競技や選手の魅力を知ってもらうため、「県勢の活躍で光を当てたい」と意気込んでいる。

宇賀神シゲさん

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