工藤静香の大河ドラマ!3人組アイドルから「禁断のテレパシー」でソロデビュー  デビュー35周年 工藤静香の足跡をたどる

工藤静香のスタートは、セブンティーン・クラブ

1984年、エスビー食品から新製品のスナックが発売された。その名も「鈴木くん」と「佐藤くん」。“チョッピリ しお味” の「鈴木くん」と、“ほんのり チーズ味” の「佐藤くん」は当時の日本で多かった苗字の1位と2位で、当時は併せて400万人近くいたという。この斬新なネーミングが功を奏して大ヒット商品になったそうで、自分はおそらく人よりもよく食べていたと思う。なぜなら「鈴木くん」の当事者だったから。メーカーの戦略にまんまとハマったわけである。個人的にはチーズ味の方が好きだったので「佐藤くん」の方を食べ過ぎたせいか、その後、ずっと1位だった鈴木は佐藤に逆転されて2位になってしまう。

そんな話はここではどうでもいいのであって、大事なのはこのスナックのCMソング「ス・キ・ふたりとも!(鈴木くんと佐藤くんのテーマ)」でデビューしたアイドルグループ、“セブンティーン・クラブ” のことなのだ。売野雅勇作詞、木森敏之作曲、新川博編曲によるポップなナンバーで1985年1月21日にCBSソニーからデビューした3人組のひとりに後のトップアイドル、工藤静香がいようとは、もちろんこの時は知る由もなかった。

セブンティーン・クラブの名の由来は、前年の『第3回ミス・セブンティーンコンテスト』でスカウトされた木村亜希、柴田くに子、工藤静香の3人で結成されたためで、1970年4月14日生まれの工藤はまだ14歳という若さながら特別賞を受賞。同大会は渡辺美里、松本典子、網浜直子、国生さゆり、渡辺満里奈ら、精鋭が集まった年であった。ちなみにメンバーの木村亜希は “B・C・G” に参加した後に清原和博と結婚、柴田くに子は後に森丘祥子と改名してソロデビューしている。セブンティーン・クラブはこの後8月25日にサンプラザ中野の作詞による2枚目のシングル「バージン・クライシス」をリリースするもヒットには至らず、解散することとなった。

おニャン子クラブ会員番号38番に就任、うしろ髪ひかれ隊で再デビュー

高校へ進学した工藤は、1986年5月にフジテレビ『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」で合格しておニャン子クラブの会員番号38番に就任。メンバーが続々とソロデビューを遂げてゆく中で、まさかのグループ内ユニットでの再レコードデビューになろうとは本人も予測してなかったのではなかろうか。しかもまた3人組であった。生稲晃子、斉藤満喜子と共に結成された “うしろ髪ひかれ隊” のファーストシングル「時の河を越えて」はアニメ『ハイスクール! 奇面組』の主題歌として1987年5月7日にリリースされ、オリコン1位に輝いた。“ふんにゃり静香と、ほんわか晃子と、しっかり満喜子” のキャッチフレーズが見事にそれぞれのキャラを示していた。

「時の河を越えて」は生稲がセンターであったが、8月12日にリリースされた次のシングル「あなたを知りたい」では工藤がセンターとなり、その歌唱力がフィーチャーされることとなった。そして同じ月には、社会現象にまで至った『夕やけニャンニャン』が遂に終了しておニャン子クラブも解散することになるのだが、その最終回が放映された8月31日、工藤静香が満を持してのソロデビューを果たす。

最高の卒業プレゼントとなったデビュー曲「禁断のテレパシー」はオリコン1位の大ヒットとなり、並行してうしろ髪ひかれ隊でも1988年5月まで活動を続けた。今思えば、うしろ髪結成の際には、工藤のソロデビューも既に決まっており、本人もそれを承知でユニットに参加したに違いない。ソロ待望論を盛り上げるためにも有効な戦略だっただろう。

工藤静香「禁断のテレパシー」でソロデビュー、そしてアイドル四天王へ

「禁断のテレパシー」以降も「Again」「抱いてくれたらいいのに」とヒットを連発。4枚目の「FU-JI-TSU」では作詞に中島みゆきが初起用され、続いて中島が作詞した5枚目の「MUGO・ん… 色っぽい」はカネボウ1988年秋のキャンペーンソングとして大きなヒットとなった。さらに「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」などを次々にヒットさせて押しも押されもせぬトップアイドルとして君臨してゆく。80年代後半には、中山美穂、南野陽子、浅香唯と共に “アイドル四天王” と呼ばれるほどの活躍を見せた。

その後の幅広い活動、木村拓哉との結婚などは周知の通りだが、原点となったミス・セブンティーンの時代から見守り続けてきたファンにとっては、まるで大河ドラマを見ているかのような、波乱万丈のサクセスストーリーだったに違いない。スナック菓子のCMソングを歌っていた頃から僅か3年後の大ブレイクは、見ている方にとっても芸能界の醍醐味を存分に味わわせてくれた。

最後にまたどうでもいいことだが、「鈴木くん」と「佐藤くん」は工藤が大活躍を遂げた1989年まで製造されていたらしい。それを受けての「田中くん」と「山本さん」という新製品があったことを覚えている人は極めて稀なのでは!?

※2019年4月14日、2021年6月20日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 鈴木啓之

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