復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月31日「国連大学設置、有力に/ユネスコ本部から打診」―琉球新報アーカイブから―

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
 
 日本「復帰」直後の1972年7月31日の琉球新報1面トップは、「次期主力戦闘機、旋回半径小さい機種に/航自、F4Fに注目/今秋、欧米へ調査団」との見出しで、第5次防衛整備計画で調達予定の次期主力戦闘機の機種選定が動き出しているとの記事を掲載している。記事では「総額数千億円にのぼる〝商戦〟だけに、内外の航空機メーカーや商社の動きも活発化しており、34、35年のFX選定をめぐるグラマン・ロッキード事件の二の舞を現出しかねない情勢だ」と伝えている。
 復帰後の米軍基地への土地提供をめぐり政府が地主に払う見舞金と協力謝金について「結局、盆明け支払い?/施設庁、大藏折衝へ」との見出しで紹介している。記事では「軍用地料の支払いは、防衛施設庁が地代、見舞い金と協力謝金を分離して支払いを始めたところから、地主側が『約束違反だ』と反発、一時中断した状態になったが、防衛施設庁としては、地代の支払いは予定どおり続ける方針だ」と記している。
 広島・長崎の平和祈念日を前にした共産党の原水爆禁止青空演説会の開催を伝える記事では「都内で核摸擬爆弾展示/伊江島で入手/共産党が原水禁演説会」との見出しで紹介している。
 国連のウ・タント前事務総長が提案した「国連国際大学」について「国連大学本部設置、有力に/ユネスコ本部から打診」との見出しで、日本に同大学の本部が設置されることが有力視されていると伝えている。
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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。  

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