長崎大水害40年 当時を語る体験、写真 忘れ得ぬ 恐怖の記憶 高台で一夜 アーケードに車 土石流、友人奪う

 死者・行方不明者299人を出した長崎大水害から7月23日で40年。長崎市を中心に記録的な豪雨となり、雨量は午後7時ごろから約3時間で300ミリに達した。各地で土石流や崖崩れ、河川の氾濫が相次いだ。市街地にも濁流が流れ込み車やバスが立ち往生。市民は恐怖に震えた。歳月が経過し、記憶の継承が課題となる今、当時を知る人々の体験談や写真などで「あの夏の雨」を振り返る。(橋本真依、佐藤大樹)

長崎大水害で被害が大きかった長崎市内。地図上の番号は写真の撮影エリア

 長崎新聞が情報窓口「ナガサキポスト」のLINE(ライン)で長崎大水害の「記憶」を募集したところ、133人が生々しい体験談を寄せてくれた。一部を紹介する。
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 当時「なめしスイミングセンター」の代表を務めていた長崎市横尾2丁目の北村弘子さん(79)は、センターの子どもたち約45人をバスで送迎していた時に大雨に襲われた。

 道路は冠水し、まるで川のようになっていた。「子どもたちをバスから降ろしてはいけない」と判断し、高台にある市立滑石中にバスを止め、そこで一夜を明かした。翌朝、水が引いてから子どもたちを連れてセンターへ。全員無事に、保護者らの元に返すことができた。

 自宅近くの小川が「暴れ川」のようになり、危険な状態だったと振り返るのは同市川平町の虎谷真由美さん(56)。近所の家が浸水し、両親たちが救助に当たっていたのを覚えている。水道管やガス管も壊れ、「それから1週間近くは川で洗濯するなど大変な日々を過ごした」。

(8)土手が崩れた川平町の住宅地。停電で洗濯機が使えず川で洗濯する虎谷さん(左)=虎谷さんの父・室園久信さん 撮影=

 大水害は繁華街にも大きな爪痕を残した。

 長崎市浜町で買い物をしていた女性(63)。帰宅しようとして電車通りに出ると、電車の下半分が水に漬かっていた。慌てて旧ステラビルの映画館に避難。中に50人ほどがいて、誰かが一人一人におにぎりを配ってくれた。泣きながらそれを食べた。

 同じく浜町にいた60代女性は、中央橋付近で電話ボックスの中に閉じ込められている人を目撃。どんどん水かさが増していき、最後に見た時は電話の上に座っていたが、どうすることもできなかった。「長崎大水害以来、梅雨が明けるまで本当に怖い」。別の40代女性は「雨の大音響が今でも忘れられない。あれほどの雨の音はそれ以降聞いていない」と振り返った。

(7)浜町アーケードには流されてきた車が折り重なった

 当日は金曜日。60代男性は、午後6時ごろから仲間と一緒に思案橋で酒を飲んでいた。突然停電になり、ろうそくの明かりで店で朝まで過ごした。翌朝、徒歩で帰宅する途中、稲佐橋がプールのようになり、中島川やア-ケ-ドにも車が突っ込んでいるのを見た。「この時は多くの犠牲者がいるとは思わなかった」

(4)中島川の氾濫で欄干と石積みが流失した眼鏡橋

 同市の60代男性も、「ホテル清風で暑気払いの宴会」中に水害に遭った。「コンピューター室が冠水しそう。すぐ戻れ」と上司から指示があり、雨の中、飽の浦町の会社まで歩いて戻った。電話がなかなか通じず、社員の安否確認で混乱。翌日以降、復旧作業に追われた。「災害は常に想定外。たとえ無駄になっても、早めの対策や避難が大事」。男性の胸に刻まれた教訓だ。

(2)鳴滝地区の道路は川のようになった

 同市本河内地区で被災した車いすの70代男性は「車が使えず、動きが取れなかった」と回想。「今の住まいは比較的災害に強いと思っている。避難を勧められても、車いすであることもあり、避難場所で生活は考えられない」

(1)山の立ち木が根こそぎ流され、川の流れも変わってしまった本河内・奥山地区

 大切な友人を失った人もいる。同市の40代女性は一番仲が良かった同級生が祖母の家で土石流に遭って亡くなった。「葬式で見た、友人の変わり果てた顔は決して忘れない」

(6)木場地区で泥の中から見つかった遺体を運ぶ救助隊

 他の水害を経験した人からの投稿も。

 諫早市の70代男性は小学1年の時、1957年7月25日に発生した諫早大水害で被災。森山町の自宅にいると、あっという間に水位が上昇。2階に逃れ一命をとりとめた。周囲の田んぼは一面水浸し。「お盆過ぎに九州各地から『救援苗』を頂いたことが忘れられない。コメの価値が今とは格段の違いがあり、本当にありがたかった」

(3)長崎市芒塚付近の国道34号は土砂で寸断され、走行中の乗用車も巻き込んだ

 「最近の災害について考えることは」の項目でも数々の意見が寄せられた。

 「世界中の人が温暖化対策にしっかり取り組んでほしい」「ラジオは必要。保存食や水、卓上ガスこんろも必須」「毎年どこかで豪雨災害が起きている。自分の身に降りかからないと怖さは分からない」「どんなに備えていても災害は起きるが、備えていれば被害は軽減できる」…。ある人はこう書いた。「線状降水帯が毎年のように発生している。だからこそ、長崎大水害の教訓を風化させることなく、後世に伝える重要性が増していると思う」

(5)東長崎地区を流れる八郎川は流木と土石流で埋め尽くされ、100台近くの車が無残にひっくり返っていた

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