連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第18話

 それと、書き遅れたけど、私には汽車の旅の道連れがいた。私の親友、黒木敏雄が「俺も東京までお前と一緒に行く」と急に決めて、二人旅になったのである。彼も東京で警察官になっているいとこの黒木岩男がいるので、会ってみたいとの話であった。長い汽車の旅であったけど、二人の旅は楽しかった。ようやく東京に着き、品川の姉達の下宿にたどり着いた。女所帯の一部屋を空けて貰って、二人その部屋に靴を脱いだ。そこで少しの東京見物をして、三日間滞在し、姉達とも別れ、私は神戸へ、敏雄兄はいとこの所へと移った。あとからの話ではそれからすぐ敏雄兄は自衛隊に入隊したとか、ブラジルに手紙と写真を送って来ていた。
 さて、神戸移住斡旋所での生活が始まった。(七月二十二日神戸着)。ブラジル渡航への心と物の準備であった。金のない私は特別することもなく、全く暇な毎日であった。
 私たちの乗る船はアメリカ丸で一三、〇〇〇トン位だったかと思う。全乗船者七〇〇余名の中、一〇八名がコチア単独青年移住者である。宮崎で講習を受けた西日本組と福島白河で講習を受けた東日本組が合流して、この人数になったのである。
 移住斡旋所では渡航費貸付の書類やコチア産業組合との労務契約書の作成、もちろん旅券など諸々の手続きを行った。私と同じ宮崎県からのコチア青年は十一人いた。それは名前をあげると、椎原道夫、田代正、亀田定次、岡原幸男、磯田徳男、指宿道、黒木義満、田原洋一、竹下政伯。それに神奈川講習所を出た、黒木政助であった。
 私は誰よりも貧乏で、動く金もなかったけど、同僚たちは日本での最後の楽しみだと言って、映画に或いは夜の街に女遊びにとくり出して行った。

    第二章 移住・さようなら日本

    移住船あめりか丸での四十三日間

 いよいよ船出の出発の日が来た。私の荷物は小さなトランク一つである。気楽なものである。でも、心の中は複雑であった。すべてが初体験の連続であり、今と未来への余りにも大きな変化の荒波にもまれている様で、ともすれば心の安定が失われそうになる。

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