久保建英加入!「リーガ2位になったレアル・ソシエダの伝説スタメン」の今

今夏のマーケットで久保建英が加入したレアル・ソシエダ。2002-03シーズンにはリーガ優勝を争い、惜しくも2位となったことで知られる。

レイナル・ドゥヌエ監督に率いられたチームはリーガの歴史上でも最高クラスの完成度を誇り、その選手たちは今でも高い知名度を誇っている。

今回は、その2002-03シーズンの中でも最も劇的な試合だったレアル・マドリー戦(4-2での勝利)でプレーしたスタメン11名を振り返ろう。

GK:サンデル・ヴェステルフェルト

現在:指導者、解説者

エドウィン・ファン・デル・サールと同時期にプレーしていたためにオランダ代表ではほとんど実績を作れなかったものの、2000年代の名ゴールキーパーとして名高いヴェステルフェルト。

トゥウェンテ、フィテッセ、リヴァプールを経てレアル・ソシエダに加入し、このシーズンは絶対的なレギュラーとして活躍。数多くのピンチを防ぎ、世界トップクラスの選手として評価された。

現在はゴールキーパーコーチやエージェント、評論家として活動。息子のセム・ヴェステルフェルトもプロのゴールキーパーで、AZで菅原由勢とチームメイトである。

右SB:アイトール・ロペス・レカルテ

現在:解説者、指導者

レアル・ソシエダでなんと13シーズンを過ごしたレジェンド。ユース出身であるがトップに昇格したのは22歳という遅咲きで、それからサイドバックとしてのレギュラーを獲得した。

本職は右サイドバックながらも一時は左サイドもこなし、後にキャプテンマークも任されることになった。ソシエダでリーガ316試合に出場、2007年に退団後はアルメリア、エイバルでプレーしている。

33歳で引退したあとはアマチュアとして故郷のモンドラゴンというクラブでプレーした時期もあったが、後に指導者と解説者としてのキャリアをスタート。現在はDAZNスペインでも活躍。

CB:ビョルン・トーレ・クヴァルメ

現在:代理人(担当:マルティン・ウーデゴール、オラ・ソルバッケンなど)

ノルウエー出身のディフェンダー。リヴァプールやサンテティエンヌでプレーした後、2001年にレアル・ソシエダへと加入した選手だ。

もともとはウインガーだったが、プロになってからディフェンダーに転向したという経歴を持っている選手で、ソシエダでは主にセンターバックとしてプレー。3シーズンでリーガ84試合に出場している。

2008年に怪我のため引退し、それ以降はノルディック・スカイというエージェンシーで代理人を務める。マルティン・ウーデゴールやオラ・ソルバッケンなどを担当。

CB:イゴール・ハウレギ

現在:指導者(エイバル下部組織)

レアル・ソシエダで9シーズンを過ごしたカルトヒーローの一人であるイゴール・ハウレギ。だが実はアマチュアリーグからの叩き上げで、1997年に23歳でエイバルに加入するまでは地域のリーグでプレーしていた。

エイバルではミッドフィルダーであったが、1998年にレアル・ソシエダへやってきてからはセンターバックへコンバート。一時古巣エイバルに貸し出されたあとでブレイクし、2002-03シーズンはレギュラーとして大活躍した。

ただその後ハムストリングの腱炎に悩まされるようになり、2006年に現役を引退。その後は8年間にわたって心理学とコーチングを学び、2015年からはエイバルの下部組織で指導とメンタルコーチングを行っている。

左SB:アグスティン・アランサバル

レアル・ソシエダで300試合以上に出場したレジェンドであり名キャプテン。リーダーシップと正確なクロスを武器に活躍し、スペイン代表でも28試合でプレーした経験を持つ。しかも父親のホセもレアル・ソシエダのレジェンドというサラブレッドだった。

2004年にソシエダを退団した後はサラゴサへ移籍したものの出場機会が少なく、次年度にアマチュアへ移籍して引退。2010年には香港のキッチー(傑志)で現役復帰したものの、エキシビジョンのみの出場だった。

その後の活動についてはそれほど知られていないが、時折レアル・ソシエダに関するイベントなどで顔を見ることができる。

DMF:ミケル・アランブル

現在:指導者、スカウト(レアル・ソシエダ)

レアル・ソシエダの「ワン・クラブ・マン」であるミケル・アランブル。ユースから18歳でトップチームに昇格し、Bチームでの修業を経て4年目からレギュラーに定着した。

クラシカルなディフェンシブハーフとして堅実な働きを行い、若きシャビ・アロンソをサポート。2002-03シーズンの成功に欠かせない選手であった。2005年には大きな怪我を負って選手生命も危ぶまれたが復活し、2部に降格したあともチームを支え、キャプテンとして1部復帰に貢献している。

静かな性格であるため引退後はほとんど顔を見せていないが、レアル・ソシエダで子供のスカウトを担当しているほか、他のチームで指導も行っているとのこと。

DMF:シャビ・アロンソ

現在:指導者

語る必要もない世界的レジェンドのシャビ・アロンソ。このレアル・ソシエダで兄ミケル・アロンソとともにデビューし、すぐにそのビジョンとパスで大きな話題を集めた。

2004年にリヴァプールへと移籍してさらに評価を高め、レアル・マドリー、バイエルンでもプレー。スペイン代表でも114試合でプレーし、数多くのタイトルを獲得した。

引退後は指導者になり、2018年にライセンスを獲得した後レアル・マドリーのU-14でコーチを務めた。そして2019年にレアル・ソシエダのBチームで監督に就任し、59年ぶりとなる2部への昇格を成功させたあとに退任している。

右SH:ヴァレリー・カルピン

現在:指導者(ロシア代表、ロストフ監督)

ロシア代表の名ウインガーであるカルピン。モストヴォイとともに1990年代から2000年代初頭の名選手として評価されている。レアル・ソシエダには2回所属しており、最初は1994~96年、2度目が2002~05年だ。

豪快なドリブルや溢れる闘争心を武器に活躍を見せたアタッカーであり、2002年のワールドカップでは日本代表と対戦したため、知名度も非常に高い選手だ。

引退後は解説者を務めつつ、ミチェル・サルガドとともに自転車ロードレースのチームを立ち上げたりと珍しい活動も。現在は監督としてロシア代表とロストフを兼任で指揮している。

左SH:ハビエル・デ・ペドロ

現在:指導者

90年代から2000年代にかけて「名レフティ」の名を恣にしたデ・ペドロ。レアル・ソシエダの下部組織で育ち、1992年から2004年まで長くチームを支えた選手だ。決して身体的な能力には優れていなかったものの、正確なクロスやフリーキック、そして電撃のようなシュートを持っていた。

退団後はブラックバーン・ローヴァーズでプレミアリーグに挑戦したが全く活躍できず、ペルージャやヨテボリ、エルゴテリス、ブルゴス、ヴェラと徐々に下部リーグへと転落し、2008年に現役を引退した。

引退後は指導者となって下部リーグのクラブで活動。2018年には元妻へのDVと嫌がらせ行為で逮捕されるという事件も。

FW:ニハト・カフヴェチ

現在:解説者

このシーズンのレアル・ソシエダといえば伝説的2トップの存在なしに語れないものがある。その一人がトルコの名FWニハト・カフヴェチだ。豊かなスピードを生かしてラインを破るプレーが魅力で、この2002-03シーズンには23ゴールを奪取。強烈な得点力を見せ、チームの躍進に大きく貢献した。

2006年に退団後はビジャレアルに移籍したが、そこではソシエダ時代にも経験した前十字靭帯断裂を再発させてしまい、苦しい時間を過ごした。2009年にトルコへと戻ってベシクタシュに所属するも、クアレスマと衝突したことでクラブから契約を解除されてしまい、不満いっぱいの中で現役引退している。

その後は指導者としてビジャレアルやトルコ代表のコーチを務めたが、現在は主にコメンテーターとしてトルコのメディアで活躍している。

FW:ダルコ・コヴァチェヴィッチ

現在:セルビアサッカー協会ディレクター

ニハト・カフヴェチとともに凸凹ツートップを組んだのがセルビア・モンテネグロ代表FWのダルコ・コヴァチェヴィッチだ。圧倒的なパワーと高さを武器に大きな活躍を見せた。

レアル・ソシエダに加入したのが1996年で、その後1999年にユヴェントスへと引き抜かれたもののイタリアでは活躍できず。2001年に復帰し、それから再ブレイクを果たした。ただ2007年にオリンピアコスへと移籍したあとで心臓病が発覚し、現役引退を余儀なくされている。

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その後は2010年からオリンピアコスのスポーツディレクターを務め、2018年からはセルビアサッカー協会のディレクターに就任した。2020年にはアテネの自宅前で暗殺者の襲撃を受けるも、なんとか銃弾を避けて逃走に成功している。

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