「命の尊さ」。映画「島守の塔」の出演者らが、共通して口にするのがこの言葉です。沖縄県最後の官選知事島田叡(あきら)と警察部長荒井退造(栃木県宇都宮市出身)を知る上で、本質的なテーマと言えるでしょう。
今の社会では、県や警察など行政は「住民の生命と財産を守る」のが役割です。裏を返せば、沖縄戦でいかに人間の命が軽く扱われていたか、あの時代に「命を大切にしろ」と訴えることが、いかに難しかったかということでもあります。
五十嵐匠監督は「2人をヒーローとして描いたり、作品を2人の偉人伝にしたりするつもりはなかった」と断言しています。
2人は沖縄県民の県外や県北部への疎開、食糧確保、住民の避難誘導などに力を尽くし、最期は糸満市摩文仁の軍医部壕(ごう)を出た後、消息が分からなくなりました。命がけで住民を守り、沖縄と運命を共にした、という見方ができます。
ただ、2人は戦意を発揚し、戦争を遂行する立場でもありました。
荒井は島田が着任する以前に実質的な責任者として疎開を推進していました。その最中、九州へ疎開する学童や一般県民を乗せた貨物船対馬丸が米軍の潜水艦の魚雷で撃沈される「対馬丸事件」が発生します。学童784人を含む1484人が犠牲となりました。疎開者の選別や、生存者に強いた「かん口令」など、一連の警察の対応を非難する声があります。
島田に対しても、学徒の名簿を軍に差し出したことなどへの根強い批判が今も沖縄県内にあることもまた事実です。
何より、陰惨を極めた沖縄戦で2人は救いたいはずの住民が無残に死んでいくのを目の当たりにしています。1945年5月22日、軍が首里城地下にあった司令部を放棄し、南部撤退を決めると、2人や県庁職員は、避難誘導しながら住民とともに壕(ガマ)を転々とし、南へ逃げる「南部落ち」を強いられます。
那覇市の東、南風原町に山川橋があります。当時交通の要衝で米軍が狙いを定めていました。島田や荒井に詳しい那覇市、柴田一郎さん(78)は「市民と兵隊が折り重なって死んでおり、避難民は遺体を踏み越えて南へ逃げた。島田さんと荒井さんも通っていきました」と説明します。季節は梅雨。史実としても2人は泥水にまみれながら、砲弾の雨の合間を縫って無数の住民の遺体を横目に逃げていったわけです。
軍の絶対的な力、無力感、理想と現実とのギャップ、矛盾、自責の念-。「苦悩」と「葛藤」も映画の重要なポイントです。
映画で島田に仕える県職員比嘉凛(ひがりん)を演じるのは吉岡里帆さんです。沖縄戦当時の警察部職員で、南部落ちの途中、糸満市の「轟の壕」で死を覚悟した島田から、最後は手を上げて投降するよう諭された、実在の女性がモデルです。
吉岡さんは父が広島県出身で、子どもの頃、祖父母から戦争体験を聞いていたそうです。撮影に臨むに当たり、実際にガマを見学しました。
「人がいた形跡が残っている場所がたくさんあり、恐怖と悲しさ、重苦しい情念みたいなものが残っている感覚があった」と振り返ります。昨年12月に沖縄でロケが終了した時には「苦しかった沖縄の人々の心の叫びを感じる撮影期間だった」と明かし、軍国教育に染まった比嘉の心が、島田の言動に触れて変わっていく過程を大切に演じたとも話しました。
沖縄県の戦時行政を率いた島田と荒井は、史実でも互いを支え合う非常によいコンビだったというのが顕彰活動に取り組む関係者の共通した見方です。
医者の息子で東大出、野球の花形選手だった島田はユーモアがあり、自然と人を引きつける明るく快活な性格だったと伝えられています。映画の中でも、萩原聖人さん演じる島田が、県職員に「チームワーク」を呼びかけるシーンがあり、リーダーシップに優れていました。
出身地の兵庫県では、1964年に母校・兵庫高校の同窓会「武陽会」から具体的な顕彰活動が始まりますが、戦後間もなくから顕彰の動き自体はあったようです。各界の先輩や後輩、同級生ら島田を知る人物がいかに島田を敬愛していたかが分かります。
経歴だけ見ればエリートですが、相手が誰であっても自分が正しいと思うことを進言し、上司にこびたりおもねったりすることを嫌うなど、出世を争う官僚の世界にあって異色だったようです。
萩原さんは「武士道のような信念があった人」と評しました。一本気で潔く、責任感が強い、そんなイメージでしょう。「島田さんのような人が今後もたくさんこの国に出てきてほしい」。知事島田叡と人間島田叡、両方の心情を大切に演じたと言います。
一方、荒井は栃木県宇都宮中(現・宇都宮高)などを卒業後、警察の一巡査となりました。明治大の夜間部に通い、警察官僚になった苦学の人です。
口数が少なく、一見ぶっきらぼうだが、温かい-。そんな人物像が伝わっています。宇都宮高元校長の斎藤宏夫さん(65)は、同校にある「瀧の原主義」に記されている「剛毅木訥」になぞらえ「そのものの生き方」と指摘します。
沖縄戦で生き残った職員や遺族で作る「島守の会」元事務局長の島袋愛子さん(74)は島田を「みんなを引きつける強烈なフラッシュのような人」、荒井を「静かな夜のほのぼのとした一軒家の明かり」と例えます。
演じた村上淳さんも「実直であることと人間味、『人間くささ』を強く意識した」と話しました。清原村の実家で、母親とやりとりするシーンは県内で撮影されました。五十嵐監督のこだわりが強い場面で、村上さんにとっても印象的だったと言います。
「私、生きましたよ」。映画のポスターにも描かれているメッセージを発する、比嘉凛の現在を演じるのは香川京子さんです。90歳。戦争の時代を知っています。1951年、沖縄戦を描いた「ひめゆりの塔」が代表作の一つです。
かつて「ひめゆりたちの祈り 沖縄のメッセージ」という本も書かれており、ひめゆりの生き残りの方たちと交流がありました。70年の年月を経て再び出演する沖縄戦の作品。「この役は私がやらなきゃいけないという気持ちでやらせていただきました」と思いを明かしました。
香川さんが重ねるのは現在のウクライナ情勢です。「何十年たっても、何で人間は変わらないんだろう」。戦争と人間。島守の塔で描かれているテーマそのものです。
栃木県内では8月5日から、宇都宮ヒカリ座、MOVIX宇都宮、小山シネマロブレ、フォーラム那須塩原で公開されています。