パンダは天武天皇の時代から中国から日本に贈られていた 【パンダ外交】

パンダはなぜ可愛い?

画像 : パンダ pixabay

日本で昔から大人気のパンダ。 その可愛らしい仕草は子供から大人まで魅了して止まない。

毎年パンダの繁殖に多くの人が関心を寄せ、子供が生まれたとなれば大騒ぎになり全国ニュースでも取り上げられる。その成長の様子も逐一報道され、公開となると整理券が配られ長蛇の列ができる。

なぜパンダは、このように人気があるのだろうか?

中国のある資料ではこのように解説されている。

「私たち人間がパンダを好きな理由は、人類の生存本能に由来している。 可愛い赤ちゃんを見た時、多くの人はとても可愛いと思う。パンダと赤ちゃんの間には、多くの共通点がある。大きな瞳に大きな頭、丸い顔、短い手足にぎこちない動き。実際の瞳はたいして大きくないが、目の周りの黒い毛のせいで、目が大きいように見える。」

2022年の時点で、日本には13頭のパンダがいる。

パンダ外交

中国がパンダを外交の手段として使うことは有名である。俗に「パンダ外交」と呼ばれる。

つまり中国からの貸出パンダである。レンタル料を支払い、パンダが死んでしまった場合には賠償金を払う。

では日本と中国とのパンダ外交はいつ始まったのだろうか? パンダ外交の歴史はなんと685年の唐朝にまで遡る。

中国では女帝武則天の時代であり、日本ではなんと飛鳥時代である。

画像 : 武則天(則天武后)

685年から1982年まで、中国は国外に向けて40頭あまりのパンダを送り出してきた。

日本の「皇家年鑑」によると、685年に武則天は天武天皇に二匹のパンダと70枚ものパンダの毛皮を送ったという。 685年9月18日午前9時、美しく飾られた大きな檻に入れられた2頭のパンダが長安から船で日本へと出発した。パンダは平和の使者として、友好の証として日本へ送られたのである。

と、その一つ前のの時代において「遣隋使、遣唐使」が日本から中国へ派遣されたことは有名である。 特に唐の文化は日本に大きな影響を与えた。

685年から1982年までは贈り物としてパンダは送られていたが、それ以降は「レンタルパンダ」となった。当時中国の最高指導者であった鄧小平が、贈与ではなく貸与とする方針に切り替えたのである。

ワシントン条約においてもパンダは絶滅危惧種として分類され、現在では商業目的の売買が禁止されている。

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