<南風>赤富士

 「夏休みの思い出」というタイトルで絵を描くことになった。私は当時小学校低学年で、図画工作がめっぽう苦手。意欲的に取り組んでも気乗りがしなくても上手に描けなかった。しかし、その日のテーマは心躍るもので珍しく描きたいものがあり張り切っていた。

 私はワクワクしながら「赤富士」を描いた。でも、その絵が仕上がったのか、どんな絵になったのか、覚えていない。なぜなら、完成間際に担任の先生がやって来て怒り出したのだ。最初、何が起こっているのか全く理解できずにいたが、そのうち、だんだんと否定されていることが分かってきた。私は何かを間違えたらしい。

 気づけばうそつき扱いされていて、私の心の中の赤富士は、真っ黒に塗りつぶされてしまった。みんなの前で叱責(しっせき)されたことへの恥ずかしさと納得のいかない思いがぐるぐると内面を駆け巡り、画集を見せてくれた伯父にも申し訳なくて、やるせない思いのまま、私は赤富士を封印した。そして、ますます絵を描くことが嫌いになった。

 「なぜ、先生は事情を聴いてくれなかったのだろう」。大人への最初の不信感を持つ苦い思い出である。しかしながら、これはとても一方的なエピソードなのである。人間は、影響し合って交流するので、私の原因を考える必要がある。

 先生は、あの日急に怒ったのではなく、日ごろ私を許してきたかいなく「また勝手な行動をしている」ように見え、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。そう考えてみると、これは「赤富士を描いた問題」ではなく、私自身の「発達のでこぼこ」の問題なのだろう、と思えてきた。

 過去の「都合の悪い思い出」は、状況ではなく、私自身の行動を吟味する必要があるのだろう。新しい夏の課題が見つかった記念に赤富士の扇子を購入した。

(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)

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