男女ツインボーカル編成といえばバービーボーイズ、その源流はどこに?  ハイトーンボイスのKONTAと低音の杏子、二人が織り成すバンドのオリジナリティ

結成40周年、バービーボーイズが成功した男女ツインボーカル編成

音楽ファンなら御存知の通り、ボーカリストはただ歌唱力があればいいわけでもなく、もちろんルックスがよければOKなのでもない。そのため、リスナーを惹き付ける力を持ったボーカリストを、同一グループに2人も揃えるというのは簡単なことではない。まして、両者の性別が異なるとなれば尚更だ。

その困難さもあってか、日本のポピュラー音楽史上、“男女ツインボーカル編成” のグループ、ユニットが商業的に大成功した例は少ない。主張のぶつかり合いを前提とするバンドとなれば数えるほどである。絶対数が少ないなかで、おそらく今のところ “男女ツインボーカル編成” 最大の成功例だといえるのが、今年で結成40周年となるバービーボーイズではないだろうか。

ここでは、“男女ツインボーカル編成” を「音楽グループにおいて、男女のメインボーカリストが、常時、ほぼ50:50の割合で歌う編成」と定義する。なお、ロス・インディオス&シルヴィア、ヒロシ&キーボーのようなムード歌謡系、演歌系や、平尾昌晃と畑中葉子、石川優子とチャゲのような企画モノの要素が強い例は除外したい。

ピンキーとキラーズとレベッカの共通点

バービーボーイズがシングル「暗闇でDANCE」でデビューした1984年9月以前、男女混合のバンドでは女性がメインボーカルであるケースが圧倒的に多かった。

ピンキーとキラーズ(1968年)、ザ・ホワイト・キックス(1968年)、赤い鳥(1970年)、はしだのりひことクライマックス(1971年)、ペドロ&カプリシャス(1971年)、カルメン・マキ&OZ(1974年)から、シーナ&ザ・ロケッツ(1978年)、ジューシィ・フルーツ(1980年)、レベッカ(1984年)まで、ステージのセンターに立つのは女性だった。 *アーティスト名のあとの()内はメジャーデビュー年

「てんとう虫のサンバ」は女性、「青春時代」は男性が主導

また、ハーモニーの美しさを売りにした、チェリッシュ(1971年 当初はバンドだった)、ダ・カーポ(1973年)、紙ふうせん(1974年)など男女2名のフォーク系デュオでも、あくまで主要パートを歌うのは女性で、ギターを抱えた男性が途中(主にサビ周辺)で合流してハモるのが通常のケースであり、50:50とはいえなかった。

コーラス系グループのハイ・ファイ・セット(1975年)、サーカス(1978年)もメインは女子、男性はサブという編成を基本とした。

一方で、極めて数は少ないが『青春時代』の森田公一とトップギャラン(1971年)、『完全無欠のロックンローラー』のアラジン(1981年)など、メインボーカルを男性が務める男女混合グループもあった。なお、同じカテゴリーに含まれる米米CLUBのデビューは、バービーボーイズの翌年である。

源流を作った内田裕也と小室等、シュガー・ベイブやフィンガー5も近い線

バービーボーイズの登場前に、“男女ツインボーカル編成” にかなり近かったグループが、GS全盛期に内田裕也が結成した内田裕也とザ・フラワーズ(1969年)、小室等を中心としたフォークバンドの六文銭(1969年)だろう。

同じ年に登場した両グループは、曲によって、女性のメインボーカリストが歌うこともあれば、男性メンバーが歌うことも、男女で歌うこともあったのだ。また、五つの赤い風船(1967年)、サディスティック・ミカ・バンド(1972年)も似たような形態だった。

ほかには、シュガー・ベイブ(1975年)、サザンオールスターズ(1978年)も比較的 “男女ツインボーカル編成” 寄りのバンドだといえる。シュガー・ベイブは、曲によって男性(山下達郎・村松邦男)が歌うことも、女性(大貫妙子)が歌うこともあった。サザンオールスターズは桑田佳祐がメインボーカルだが、原由子が歌う曲もある。また、どちらのバンドにも男女デュエット曲が存在する。

アイドルの文脈では、5人きょうだいグループのフィンガー5(1970年 当初は “ベイビー・ブラザーズ” という名称のバンドだった)が、“男女ツインボーカル編成” をほぼ実現させていた。フィンガー5としての初期は「恋のダイヤル6700」など、小学生だった四男の玉元晃と、妹の玉元妙子(次女/長女はメンバーではない)のハイトーンボイスの掛け合いが魅力の曲が多かったのだ。ただし、晃が変声期を迎えることで、この形式は徐々に崩れていった。後に、声変わりした晃のボーカルパートを担う役割もあり、長女の長男である具志堅実がメンバーに加入する流れもあった。

ヒデとロザンナやトワ・エ・モアがルーツ!?

では、バービーボーイズのようなバンドに限らず、フルタイムで男女ツインボーカル編成を確立させた音楽グループの元祖はなんだろうか?

嚆矢のひとつとして考えられるのが、1967年7月にデビューしたユキとヒデという2人組だ。このグループは、ユキこと佐藤ユキ(のちにアン真理子)とヒデこと出門ヒデ(のちに出門英)という男女のボーカリストが、サックス奏者の渡辺貞夫が手掛けたボサノヴァ系楽曲を歌うという画期的スタイルを打ち出した。今ならラウンジ・ミュージックとして歓迎されたかもしれないが、時代が早すぎたのだろう。ユキとヒデは短期間で活動停止となった。

その後、ヒデは、イタリア出身のロザンナ・ザンボンと同じく2人組のヒデとロザンナ(1968年)を結成。デビュー曲「愛の奇跡」、さらに翌年の「愛は傷つきやすく」をヒットさせた。つまり、出門英は日本のツインボーカル史における重要人物なのである。

また、「或る日突然」「虹と雪のバラード」「誰もいない海」などのヒットで知られる2人組のトワ・エ・モア(1969年)も男女がほぼシンメトリーな関係にあるグループの先駆けだ。メンバーの山室英美子(現:白鳥英美子)、芥川澄夫はもともとアマチュアとして2人で歌っていたのではなく、プロダクションの戦略によりデュオグループを結成することになった経緯もあり、対等の扱いだったのである。

男女ツインボーカル編成バンドの元祖はプラスチックス?

ユキとヒデ、ヒデとロザンナ、トワ・エ・モアと、上記3例はボーカリストの2人組であり、男女が50:50なのは当然といえば当然だ。しかし、バンドとなると話が違う。60~70年代に純粋なフルタイムの “男女ツインボーカル編成” のバンドはなかなか見当たらないのだ。

歴史に埋もれた無名バンドのなかには存在するかもしれないので “これが元祖だ” とは断言はできないが、一定の知名度と実績を誇った“男女ツインボーカル編成” の最古の例として確認できるバンドは1980年にデビューしている。プラスチックスである。

80年代初頭、P-MODEL、ヒカシューとあわせて “テクノ御三家” の一つに数えられたプラスチックスは、1976年にイラストレーター、デザイナー、スタイリストなど専業のミュージシャンではないメンバーにより中心に結成されたバンドである。そこに、四人囃子というバンドのメンバーだった佐久間正英が加わることで、テクノ&ニューウェイブ路線でのメジャーデビューに至った。このバンドの大きな特徴は、女性の佐藤チカ、男性の中西俊夫(ギターも担当)がステージのセンターに並び立って歌うスタイルを常としていたことにある。

アルバムを欧米でリリースするなど海外でも注目されたプラスチックスは1981年に惜しまれて解散。その翌年に、バービーボーイズが結成されている。

ハイトーンボイスのKONTAと低音の杏子、編成やビジュアルが強烈なオリジナリティ

バービーボーイズは当初、KONTAがボーカルを務める4人組バンドだったが、ギターのいまみちともたかの直感で、他バンドの人気ボーカリストだった杏子をかなり強引にヘッドハンティングしたのはファンには有名な話だ。いわば、エースストライカーを、4番バッターを2人揃えたのだ。

80年代前半は女性がボーカルを担当するバンド自体も数が少なかった。また、同性同士であってもツインボーカルという編成も珍しかった。そんな時代に、ともにハスキー気味ながら、ハイトーンボイスのKONTAと低音の杏子という男女2人のボーカリストを擁したバービーボーイズの存在は目新しく、その編成やビジュアルは強烈なオリジナリティとなった。

バービーボーイズはやがて、バブル景気とバンドブームという2つの大きな波に乗り、多くのファンを獲得。東京ドーム公演を実現するなど成功を掴むのである。1992年に解散するも、たびたびの再結成を経て、2018年以降は継続的な活動が続いている。それが可能なのも、唯一無二の個性に魅了された80年代からの根強いファン層が分厚いからなのだろう。

カタリベ: ミゾロギ・ダイスケ

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