三宅一生さん、繊維産地福井との関わり深く 84歳で死去、取引続いた企業のトップら別れ惜しむ

三宅一生さん=2010年撮影

 ファッションの既成概念を破る斬新な服作りで世界的に知られたデザイナー三宅一生さんが8月5日、肝細胞がんのため東京都の病院で84歳で死去した。三宅さんは福井県内の繊維企業と長年取引をするなど、繊維産地福井との関わりも深かった。仕事への情熱と紳士的人柄に触れた多くの関係者が別れを惜しんだ。

 三宅さんと30年以上取引がある福井市のテキスタイルメーカー畑岡。2010年代からは、環境に配慮した製品作りを掲げる三宅さんの注文に応じ、生地の開発を進めた。畑岡茂社長は「いつも先進的な考えを持っていた。言葉一つ一つから生地を大切にする強いこだわりが伝わってきた」と振り返る。現在も三宅さんのブランドとプロジェクトを進めているさなかでの訃報に「大事な人が亡くなられ、とても悲しい。ブランドには三宅先生の遺志を継いでほしい」と話した。

 ベルベット生地製造販売の山崎ビロード(越前市)は長年、三宅さんと取引があった。山崎昌二会長は「仕事で求めるものは厳しかったが、親しみを持って友達のように接してくれた」と温かな人柄を振り返った。

 約30年前から三宅さんが愛したのが、パン製造販売の老舗「ヨーロッパンキムラヤ」(鯖江市)のあんぱん。直接本人からの注文も多かったという。2010年ごろからはパリコレに合わせ現地に名物の大福あんぱんを差し入れるなど、交流を続けてきた。

 古谷聖津子副社長(53)は「パリに直接差し入れる際には手紙で『ご無理のないように』と記してくださる、気遣いにあふれた温かい方だった」としのんだ。

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