急増するM&A裁判、その現況や背景は?|専門家に聞く

M&Aに関する裁判例が増加の一途をたどり、事件類型の多様化も進んでいる。企業の大小や業種を問わず、経営戦略の常套手段として定着してきたM&Aだが、取引を円滑に進めるためには裁判例に表れた考え方を踏まえる必要性がより高まっている。M&A訴訟の現況やその傾向や対策について、潮見坂綜合法律事務所(東京・内幸町)の阿南剛、後藤高志、辻川昌徳の3弁護士に聞いた。

3氏は共著で7年ぶりの改訂版となる「実務分析  M&A判例ハンドブック(第2版)」(商事法務刊)を6月末に出版したばかり。

M&A裁判例 500件を超える

ーM&Aをめぐる紛争の現状を教えてください。

阿南 剛弁護士 M&Aの紛争件数は年々増えている。判決に至った事件は合計500件を超えるが、その7割以上は2000年以降に訴えが起こされたもの。産業界におけるM&Aの活発化と軌を一にする形で、M&A訴訟が増加傾向にあることが分かる。

実際には、裁判になっても判決になる前に和解するケースがあり、また、裁判をせずに双方が譲歩して争いをやめることも少なくない。そうした意味で、判決となった事件はごく一部。紛争自体は全体としてもっと増えていると推測できる。 

ーM&A特有の増加要因はありますか。

阿南 M&Aが他の商取引と大きく異なるのは、当事者にとって一度きりの取引である点。このため、開けてみてびっくり、といった側面がある。買主は丹念にDD(買収監査、デューデリジェンス)を行うとはいえ、限られた時間での作業。高い買い物であり、後々、何か問題が生じた際に、そのことは聞いていなかった、知らなかったということで紛争が起きやすい。

もう一つ、上場企業のM&Aでいえるのが資本市場型の側面だ。当該取引の実質的な当事者は本来、株主であるはずだが、多くの場合、株主不在で取引が行われる。TOB(株式公開買い付け)が典型的だが、経営陣と買収者が交渉する。株主にすれば、自身の利害が本人のあずかり知らないところで決まっているということであり、紛争につながりやすい。

阿南 剛(あなん・ごう)さん 1999年東大法卒、2001年弁護士登録(東京弁護士会所属)

「ルーチン・形式的」が紛争増の一因に

後藤 高志弁護士 M&Aのプレーヤーが増えてきたことも紛争増加に関係していると思っている。その一つが専門家のすそ野が広がったこと。かつてのように大手の法律事務所、会計事務所だけでなく、さまざまな士業の人たちがM&Aにかかわるようになった。これ自体は喜ばしいことだが、功罪があるのも事実。

M&A取引では専門家のアドバイスが一層重要性を増している。ところが、契約書のひな型が数多く出回るようになった結果、一部のプレーヤーにおいては案件の具体的な取引の中身に踏み込むことなく、ルーチン的に、形式さえ整えれば良しとする傾向が見受けられる。事実、裁判例をみても、契約書に問題がある場合が少なくない。裁判例が増えることで現場の緊張感もおのずと変わってくると思う。

後藤 高志(ごとう・たかし)さん 2003年東大法卒、04年弁護士登録(第二東京弁護士会所属)

ーM&A訴訟を取引類型別に見た場合、どういった移り変わりがありますか

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後藤** 2000年代までは新株発行と事業譲渡の裁判例が多くを占めていた。代わって、2010年前後を境に株式譲渡、会社分割、スクイーズアウト(キャッシュアウト)関連の事件が増えてきた。数はまだ多くないが、敵対的買収への対抗措置として行われる新株予約権の無償割り当てや、M&A実行後の会社運営にかかわる株主間契約などについての事案も増えつつある。

株式譲渡については表明保証違反(売主の説明義務違反)を理由とする損害補償請求が最も多い。表明保証条項を伴うM&Aが広く行われるようになったことが背景にある。

会社分割では詐害行為取消権、商号続用などに関するものが代表的。また、会社分割を利用した事業再生スキームの普及に伴い、会社と債権者の利害調整が十分に行われず訴訟に至る事案も増えている。

スクイーズアウトは現金を対価として少数株主から強制的に株式を取得する買収手法。TOBで完全子会社化する場合に一般的だが、「ジュピターテレコム事件」の最高裁判決(2016年7月)が出る以前、対価の不当性を訴える事案が続出したことがある。

ー過去、事業譲渡で紛争が多かったのはどうしてなんでしょうか。

辻川 昌徳弁護士 会社そのものを株式譲渡で買う場合と違い、事業譲渡はその会社の一部だけを買うときに使われる。同じ事業分離の手法としては会社分割があるが、会社分割は事業の資産や権利義務を包括して承継する。これに対し、事業譲渡は欲しい部分だけを選んで個別に承継する変則的なやり方なので、問題になりやすい面がある。

会社のいい部分だけが買われて、残った事業が立ち行かなくなれば、残った事業の債権者が害される。不利益が生じた場合にはこれを避けるために詐害行為取消権の行使とか、また仮に残った会社が破産すれば否認権の行使ということになる。実際、こうした形での裁判例が多かった。ただ、最近は会社分割が主流になりつつあり、事業譲渡の訴訟事案は減ってきた。

辻川 昌徳(つじかわ・まさのり)さん 2004年東大法卒、06年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)、13年米国ニューヨーク州弁護士登録

3氏が注目した裁判例は

ー新著「実務分析  M&A判例ハンドブック」では数多くのM&A裁判例が紹介されていますが、ご自身、注目すべき事件があれば、教えてください。

ジュピターテレコム事件

後藤 スクイーズアウトの案件に多く携わってきたこともあり、ジュピターテレコム事件はいい意味で衝撃的だった。この事件では公開買い付け後に行わる全部取得条項付種類株式によるスクイーズアウト取引について、株式の取得価格が争われた。最高裁判決は、一般に公正と認められる手続きが明らかな場合、原則として公開買付価格がスクイーズアウトの取得価格となるとの枠組みを示した。

それまでは裁判所の判断が確立しているとは言い難い状況だった。元々、スクイーズアウトはわれわれ現場と裁判所がさまざまな案件を介してキャッチボールを重ねてきた分野。私自身はジュピターテレコム事件に関わったわけではないが、判決を通じて現場がまじめに正しく実務を積み上げてきたことを裁判所が評価してくれたのだということが分かり、非常にうれしかった。これを糧とし、日々の実務に生かしている。

アルコ事件

辻川 一つ挙げれば、アルコ事件(2006年1月、東京地裁判決)。結構古い事件で、株式譲渡に関する初期的な重大な事件とされている。売主が買主に対して表明保証違反にあたる事実を故意に隠していたとして、売主の違反を認めた。ではこの事件で何が目新しい判断だったかといえば、契約書に記載されていない要件であるにもかかわらず、裁判上、必要な要件であるとされたこと。

裁判所は第一義的に契約書を重視する。これは当然とはいえ、アルコ事件では契約書の解釈というよりは、契約外で売主が重大な事実を隠していたという事象をとらまえ、買主の悪意・重過失を否定して、売主の表明保証違反による責任を契約外のところで認めた点で大きな意味があったと思う。

とりわけ株式譲渡は買主と売主による一対一の関係。裁判所は契約外のところで当事者が何か隠していないかとか、この事案では売主、買主のどちらが気の毒であるか、どっちが悪い人なのかをみているところがある。何かを隠すとかちょっと悪いことしようとすると、裁判所は敏感に反応するという姿勢がアルコ事件を通じて見て取れる。M&Aの当事者はむろん、代理人として携わる者として心したい。

レックス事件・シャルレ事件

阿南 レックス・ホールディングス事件(2013年4月、東京高裁判決)とシャルレ事件(2015年10月、大阪高裁判決)を挙げたい。いずれもMBO(経営陣による買収)を目的に行われたTOB事案で、対象会社の役員の個人責任が問われた。

株主代表訴訟の判決に見られるようなケースでは会社に損害が生じて、それについて役員の経営判断の是非が争われる。これに対し、TOBの場合、会社に損害が何か出るわけではない。では売主と買主の間にいる人たち、つまり対象会社の役員は善管注意義務として一体何をすべきなのか。裁判ではこのことが問われた。

判決では、対象会社の役員について企業価値の移転が公正に行われるようにする義務と、株主が公開買い付けに応じるかどうかを判断するうえで適正な情報を開示する義務を負うとした。そういう枠組みを作ったレックス事件とシャルレ事件はM&A、なかでもTOBにおける規律付けをいい方向に導く一つのドライバー(推進力)になった。その意味で大事な判決だったと思う。

聞き手・文:M&A Online編集部 黒岡 博明

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