THE 虎舞竜「ロード」矢沢永吉の幻影から脱却した高橋ジョージ奇跡の1曲  8月13日は高橋ジョージの誕生日 ロックンローラーとしての地道な活動が結実した名曲「ロード」

THE虎舞竜「ロード」と過激ティーンズ雑誌「ギャルズライフ」

80年代の前半に、ちょっとマセた十代少女に絶大な影響力があったティーンズ雑誌がある。

『ギャルズライフ』と『ポップティーン』だ。

誌面を賑わせたのは、いわゆる体験告白記事だった。その相当過激な内容は国会でも審議され、1983年、当時の自民党政調副会長だった三塚博氏が、上記した2誌を含むティーンズ雑誌5誌を名指しで「性欲雑誌」と糾弾。翌年には、ティーンズ雑誌のセックス記事の自粛を要請する図書規制法が施行された。

ちなみにポップティーンは後に過激な記事を払拭しリニューアル。ギャル向けファッション雑誌として現在も刊行中だ。

当時、こんな騒ぎが連日ニュースやワイドショーにも取り上げられていたので、記憶に残っている人も多いかもしれない。確かに『ギャルズライフ』らの告白記事は過激さを売りにしていたが、その中に、叶わぬ恋の結末を描いた純愛モノもよく取り上げられていた。

THE虎舞竜の「ロード」がヒットした時、まず思い浮かべたのが、この『ギャルズライフ』だった。

よく知られた話だが、「ロード」という累計220万枚というダブルミリオンセラーが生まれた発端は、THE虎舞竜の前身、フロントマンの高橋ジョージ率いるTROUBLEのファンから送られてきた一通の手紙からだった。

叶わぬ恋で子どもを授かった女性からの告白、そして悩み相談であったが、その後、彼女は交通事故で命を落としてしまう…。

そんなストーリーがモチーフとなり「ロード」は生まれた。

高橋ジョージ、キャリアのスタートはTHE TORUBLE

「ロード」は元々、TROUBLEがTHE TROUBLEと改名後、1992年にインディーズとしてリリースした「こっぱみじんのRock'n Roll」のカップリング曲だった。1982年、遅れてきたキャロルのフォロワーとしてデビュー、3年で解散したTROUBLEが心機一転再始動後のシングルだったが、大きく話題になることもなく、売上枚数は500枚程度だったという。

「ロード」にたどり着くまでの高橋ジョージの道のり(ロード)は決して平坦なものではなかった。

TROUBLEは、ビーイングに所属し、1982年にシングル「Mr.リッケンバッカー」でデビュー。革ジャンにリーゼントという、矢沢永吉率いるキャロルの正統派フォロワーだった。ただ、ロックンロールバンドでありながら、強靭なリズムやうねりのあるグルーヴといったバンド的なものを全面に打ち出しながらも、ソロデビュー間もない頃の矢沢永吉の醸し出すサウンドに近い部分があった。つまり、高橋の歌唱力が全面に打ち出され、メロディラインも矢沢同様、極めて繊細な部分が感じられた。

TROUBLEは全国的なヒットには至らなかったが、一部では絶大な支持を得ていた。当時日曜日の原宿歩行者天国にひしめくローラー族のラジカセから「Mr.リッケンバッカー」が大音量で流れ、リーゼントに革の上下、ポニーテールにサーキュラー・スカートといった少年少女がツイストを踊る光景をよく目にしたものだ。

TROUBLEは約3年の活動期間で一旦解散するが、高橋は、1989年にキャロルのメンバーだったジョニー大倉、内海利勝らとTHE PLEASEを結成。“今再びキャロルを” というコンセプトを感じられるこのバンドで高橋に与えられたポジションはベース、つまり、矢沢永吉のポジションだった。THE PLEASEはキャロルのようなグラムテイストを控えめに、ジョニー大倉はアコースティックギターを持ち、一層甘く切ないメロディアスな楽曲を持ち味としていた。バンドの主体はもちろんジョニーであったが、ここでの高橋の役割もまた、TROUBLEの延長線上として、個性を遺憾無く発揮できた。

しかし、時流との組み合わせが悪かったのか、THE PLEASEはメインストリームに浮上することなく、約3年の活動期間を経て解散。その後にリリースされたのが、THE TROUBLE名義の「こっぱみじんのRock'n Roll」だった。

ギャルズライフ、原宿ローラー族から生まれた?「ロード」が生まれた背景とは

話を『ギャルズライフ』に戻すと、過激な告白記事と同様に、原宿のローラー族や当時のフィフティーズ・ブームに関する記事も定番で毎月のように、彼らの詳細がグラビアや記事となっていた。同じカテゴリーに属するTROUBLEに関しても何度か取り上げられていた。

そこで仮説として考えられるのは、TROUBLEのファンで高橋あてに手紙を送った女性というのは、原宿のローラー族ではないのか… ということ。もしくはこのカルチャーに魅了された少女だったということ。そして、『ギャルズライフ』の誌面に掲載されてもおかしくないような告白が高橋に送られることで、第15章まで連なる壮大な物語となり、社会現象とまで言える大ヒットを記録した。

さらに仮説として考えられることは、カップリング曲に火がついたということは、「ロード」にまず注目したのは、当時のTROUBLEファンではないかということ。500枚という売上枚数だったCDの購入者は、原宿で踊っていたかつての不良少年、少女たちが地道に応援し続けたTROUBLEの異色作であり、かつて愛読していた『ギャルズライフ』のテイストが溢れたリリックが琴線に触れたことも容易に想像できる。

矢沢永吉の絶対的な信奉者だった高橋が描く「ロード」には矢沢的なエッセンスは全く感じられない。素朴でシンプルで、アーシーな感じも否めない。そう。高橋ジョージは、矢沢の幻影から脱却し、自らのセンスと、これまでの活動から地続きで繋がる奇跡もあいまって、「ロード」は生まれた。

THE虎舞竜「ロード」の背景に見えるもの。それは過激なティーンズ雑誌『ギャルズライフ』や原宿歩行者天国のローラー族だったりするのだが、これはあくまでも仮説である。しかし、高橋ジョージというロックンローラーの地道な活動からこのダブルミリオンが生まれたことは間違いないようだ。

カタリベ: 本田隆

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