太平洋戦争の終戦前日、米軍による最後の大阪大空襲で数百人もの命が奪われた「京橋駅空襲」。惨劇から77年を迎える8月14日午前11時から、被災者慰霊祭が大阪市城東区のJR京橋駅南口にある慰霊碑前で営まれる。(新聞うずみ火 矢野宏)
昨年営まれた京橋駅空襲被災者慰霊祭
1945年8月14日、米軍のB29爆撃機145機が来襲。大阪城公園内にあった東洋一の軍需工場と呼ばれた大阪砲兵工廠に650発もの爆弾を投下した。近くの国鉄京橋駅(現JR環状線京橋駅)にも数発の1トンが落とされ、駅舎が吹き飛んだ。死者は身元が確認できただけで210人、実際の犠牲者は500人とも600人とも言われている。
戦後、京橋駅に慰霊塔が建立され、1955年から当時駅近くにあった妙見閣寺(同市旭区)が慰霊祭を営んできた。
68回目となる今年の慰霊祭は、新型コロナウイルスの感染防止のため椅子などを設けず、参列時間を分散させる措置をとるという。