「カープのファンでいることは修行である」 お寺のポップな掲示板 18年で2500枚書き続ける住職は…

コロナ禍で迎える3年目の夏―。もとから悩みの尽きない人生なのに出口の見えないコロナ禍でさらに気が滅入る日々…。そんなとき、悩める人の背中をトンと押すような少し不思議な掲示板が、広島市 八丁堀のとあるお寺にあります。

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浄土真宗のお寺「超覚寺」の住職・和田隆彦さん。18年前、先代から受け継いで以来、こつこつと続けていることは、「掲示板に言葉を貼りだす」仕事です。

真宗大谷派 超覚寺 和田 隆彦 住職
「こちらのお寺は親せきのお寺でして、跡取りがいないということで。そのころ、まだサラリーマンをやっていたんですけど、ちょっとサラリーマンもしんどいなって思っていた時期だったので」

あのとき、仏の道に入っていなかったら、どうなっていたかわからないと振り返る和田さん。今度は、悩める人を救う立場として毎日、2枚の言葉を掲示板に掲げます。

和田 隆彦 住職
「たぶん、こう、ポップじゃないと目につかない。なんとか、まずは目に飛び込んでくれっていう」

そう、和田さんが掲示板に掲げる言葉は、お経の一節だけではありません。

□ 「毎日 体重計に乗ろう」

□ 「敵は本能にあり」

□ 「仏事は仏さまとのオフ会」

□ 「ブレーキランプ6回点滅 南 無 阿 弥 陀 仏のサイン」

そのキャッチーな言葉の数々は話題を呼び、お寺の掲示板の全国大会で優勝するほど…。

今回は、コロナ禍の日々を生き抜くみなさんに超覚寺の掲示板から世相にぴったりの言葉をご紹介します。

□ 「いつでもどこでも誰にでも届く 阿弥陀のテレワーク 念仏 成仏 みな救う」

和田 隆彦 住職
「悪いことがあったら誰かを責める、もしくは自分を責めるっていう、その2択しかなかったと思うんですけど、でもそうじゃなくて、誰彼を責める必要のない『そういう事柄の連続なんだ』というところをちょっとでも感じてもらえたら、一喜一憂する必要はなくなってくると思うんですよ。そのときに自分1人じゃなくて、必ず隣りに、もしくは自分の中に仏様がいますよっていう」

「仏様の慈悲っていうのは(テレワークと)同じように目に見えないし、直接つながっていないし、それこそ離れた場所からの働きかけだっていうところが意味合いとしては(テレワークと)一緒だなというふうに思ったので、そういうふうにまとめたんですけど」

続いては、スポーツ。思わず後ろ向きになる、きょうこのごろ。スポーツの力は偉大です。元気が出ない日、テレビをつけるとカープの試合が…。

真宗大谷派 超覚寺 和田 隆彦 住職
「まあ、でも、あれだけ負けると、それはそれで中途半端じゃないのはいいなと思いましたけども」

カープは、ことしの交流戦、5勝13敗…。3シーズン連続で12球団最下位に沈みました。

和田 隆彦 住職
「ちょっと持ってきますね。去年、載せたんですよ、これを」

□ 「カープのファンでいることは、修行である」

「で、ことしは、『荒行』にバージョンアップして…」

□ 「カープのファンでいることは、荒行である」

「それで止まらなかったので、こう…、究極の『苦行』になって…」

□ 「カープのファンでいることは、苦行である」

「で、まあ、相田みつをさんの有名な詩をもじって、こういうので締めたっていうことなんですけども」

□ 「つまづいたっていいじゃないか カープだもの」

― 悟ったということ?
「そうです。カープだから、いいんだよっていう」

とはいえ、それもこれも、もとをたどれば『深いカープ愛』。京都出身の和田さんはことし、あることをきっかけに自身が真のカープファンになったと気づいたそうです。

和田 隆彦 住職
「ぼく、シーズン中はずっとユニホームを着ているんですよ。ユニホームを着て生活していたんですよ。それを着て、どこへでも行っていたんですよ。試合のない日でも」

「でも、ことしは、それが妙に恥ずかしくなって。それを地元のほかのお寺さんに言ったら、『ようやく広島の人間になったんだね』『広島の人はそんなむやみにユニホーム着ないよ』と言われて。ユニホームを着ることで『ぼくはカープファンですよ』ということをあえてアピールしていたようなところがあったなあと」

「それを言われて気づいて、着なくても平気になってきた。今までのカープファンとは違うカープファンになったなというような感覚がぼくの中ではあるんですよね」

― つけているのは…
「超覚寺の “C” でもあるっていう、そこですよね」

時には厳しく、時にはユーモアを交えながら和田さんがこれまでに書いた言葉は、18年間で2500枚に上ります。

目にとまりやすく、親しみやすい言葉で、1人でも多くの人に仏教の考え方が伝わればと和田さんは話します。

□ 「下を向いても歩こう 涙がこぼれてもいいから」

真宗大谷派 超覚寺 和田 隆彦 住職
「元歌は『上を向いて歩こう』なんですけど、それはもう誰もがわかっていること。上を向けなくて、立ち止まっているときにどうすればいいんだっていうところに、宗教は一番関われると思っているので」

「励ましたりとか、前向きになれる言葉ではなくて、現状を肯定するような、否定しないような言葉を選ぶようにはしています」

「絶対、防ぎようのないことに対して、『なぜ』『なんで』と思うと、それが自分を苦しめるもとになってしまうので、『なぜ』ではなくて、『そうなんだ』って思う癖をつけてもらったら、苦しむ数なり量は減っていきますので、そういったところも、つたない掲示板ですけど、伝わってほしいとは思うんですよね」

― 和田住職によりますと、だいたいのお寺が月に1回、掲示板を貼り替えるそうです。ですから超覚寺の「毎日貼り替え、しかも1日2枚」というのは非常にひん度が高いといえます。

― それだけ更新して、言葉のストックが尽きないのかとたずねたところ、「600枚はあるのでだいじょうぶです」とのことでした。

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