「散る櫻 残る櫻も 散る櫻」 戦地への「決意」、写真に記した10代たち 陸軍特別幹部候補生を指導した元隊長が保管

特別幹部候補生らの顔と言葉が記された写真=阿久根市赤瀬川の野村建設工業

 鹿児島県阿久根市の野村建設工業に、香川県の旧陸軍特別幹部候補生隊(特幹生隊)などに関する写真約60枚が残されている。入隊した同社創業者の野村徳七さん(享年66歳)が保管していた。10代の候補生が収められた写真の裏には、戦地に赴く決意がつづられている。

 野村さんが生前記した回顧録などによると、特幹生隊は太平洋戦争末期、15歳以上20歳未満の志願者から候補生を選抜。香川県には船舶関係の採用者が集められた。

 野村さんは20歳だった1944年、同県豊浜地区で訓練を受け、45年4月に小豆島若潮部隊(船舶特幹生隊)に入隊。区隊長として候補生を指導する立場にあった。

 写真はこの2年間に撮影されたとみられる。海上でいかだを押す訓練や船艇に乗った演習、入隊式などの場面が残されていた。

 約40枚は野村さんと共に過ごした軍服姿の候補生や指導者の写真だった。裏面には候補生の氏名や出身地が自らの字で記されていた。鹿児島からの志願者もいた。一部には生年月日もあり、全員が17~18歳だった。

 書き込まれた言葉には「散る櫻 残る櫻も 散る櫻」「目標は只一つ太平洋へ」などと戦時下の覚悟がにじむ。小豆島では水上特攻の訓練が行われ、「特攻の教育も今たけなはなり」という記述もあった。

 写真は8月上旬、本社内に置かれていた箱から見つかった。息子で同社社長の公さん(68)は「戦争のことは多くを語らない父だった。写真を通し、平和な社会をつくる大切さを改めて感じる」と話した。

特別幹部候補生が写真裏に記した言葉
社員と戦時下の写真を見る野村公社長(左)=阿久根市赤瀬川の野村建設工業

© 株式会社南日本新聞社