ラ・リーガで固定背番号が導入されたのは1995-96シーズン。それ以来バルセロナで8番を着用したのは9名の選手だった。
今回はその9名をランキング化したものを『Planet Football』から特集しよう。
9位:ミラレム・ピャニッチ
リヨン、ローマ、そしてユヴェントスで見事な活躍を見せてきたピャニッチ。彼がバルセロナにやってきたのは2020年で、アルトゥール・メロとの入れ替わりで加入した。
しかし彼は怪我もあって2020-21シーズンはわずか6試合しか先発出場しておらず、ロナルト・クーマン監督からは信頼を得られなかった。ガビやペドリといった10代の選手にもポジションを奪われ、ベシクタシュへとローン移籍することに。
ただ今季はプレシーズンで好調なプレーを見せており、もし残留したらこのランキングを駆け上る可能性もあるだろう。
8位:アルベルト・セラデス
1997-98シーズンのバルセロナで、ルイス・ファン・ハール監督によって36試合に起用されたセラデス。当時はまさに中心的な役割を果たしていた。
しかしながら1998-99シーズンは逆に先発が11試合のみとなり、チームはリーガのタイトルを獲得。彼にとっては複雑な結果となってしまった。
そして退団を許可された彼はセルタ・デ・ビーゴへと移籍し、2000年にはライバルのレアル・マドリーへと加入している。
7位:フリスト・ストイチコフ
1996年5月、バルセロナはボビー・ロブソン監督を招聘。そして、ヨハン・クライフ監督との対立によってパルマへと移籍していたストイチコフが1年ぶりに呼び戻され、8番が手渡された。
1994年にはバルセロナでバロンドールも獲得したストイチコフであったが、復帰してからはロナウドやジョバンニ、フアン・アントニオ・ピッツィなどのバックアップに回ることも多かった。
1996-97は35試合に出場してわずか8ゴール。1998年に古巣のCSKAソフィアへと戻っていった。
6位:アルトゥール・メロ
かつて「新しいチャビ・エルナンデス」と期待されたアルトゥール・メロ。2018年にグレミオからバルセロナに加入したブラジル人MFで、その才能は明らかであった。
デビューシーズンにリーガで優勝を果たしたものの、その後のオフシーズンではときに太り過ぎてしまったりとややコンディション面に問題も抱えていた。
それでも今後のブレイクが期待される選手として評価されていたが、2020年に突然ピャニッチと入れ替わりでユヴェントスへと移籍することに。
5位:ギジェルモ・アモール
バルセロナの下部組織から昇格した生え抜きのギジェルモ・アモール。1988年にトップチームでデビューし、4連覇を果たしたチームの重要な選手の一人となった。
彼が8番を手渡されたのは1995-96シーズンから。したがって公式に固定番号でバルセロナの8を与えられたのはギジェルモ・アモールが初めてである。
ただそのシーズンでは1986-87以来となるノンタイトルに終わり、アモールも1年で8番を剥奪されることに…。
4位:ダニ・アウヴェス
バルセロナの歴史では最高の選手の一人だが、8番を着用したのは2回目に所属した際だ。
2021年11月にチャビ・エルナンデス監督からの誘いを受け、フラメンゴを退団していた彼はバルセロナに戻ることを決意。アラフォーの年齢を感じさせないようなプレーを見せ、苦しい状態のチームを助けた。
今夏退団したあとはメキシコの名門プーマスに加入しており、39歳で新しい挑戦を行っている。
3位:リュドヴィク・ジュリ
2004年にモナコから加入したジュリ。160cmそこそこという小柄な身長を持つウインガーで、ロナウジーニョ・ガウーショとサミュエル・エトーをサポートする右アタッカーとして大活躍した。
最初の2シーズンで20ゴールを決め、クラブの連覇とチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献。また明るくオープンな性格であったため、ファンにも非常に愛された。
ただリオネル・メッシの台頭からポジションを失ったため、2007年にローマへと移籍している。
2位:フィリップ・コクー
1998年にフリートランスファーでバルセロナに加入したコクー。当初は15番のユニフォームを着ていたが、セラデスが退団した後は8番を受け継いだ。
彼が8番を使っていたころは、バルセロナにとっては暗黒時代だった。なかなか成績が上向かないなかで、コクーは数少ない輝きの一つであった。様々なポジションをそつなくこなし、安定感は抜群であった。
2004年の夏に古巣のPSVアイントホーフェンへと戻るまで、291試合に出場している。
1位:アンドレス・イニエスタ
バルセロナの8番を頭に浮かべたとき、誰もが選ぶ選手であろう。彼は2007-08シーズンに24から8へと変更したが、それまでに150試合以上でプレーしていた。
ただ8番を受け継いだ彼はさらに成長を見せ、世界最高のミッドフィルダーとしての地位を確立。その後の11年間で7回のリーガ優勝、3回のチャンピオンズリーグ優勝をなしとげた。
2018年にはヴィッセル神戸へと移籍して日本でプレーしているが、彼の後継者は未だに出ていない。