子ども1285人、戦地への紙面 日中戦争時の顔写真新聞を本社で展示、栗田元知事も

1939年1月1日付の福井新聞。「お父さん!私らは元気!」の見出しで、子どもたちの顔写真が並ぶ=福井新聞社
248番として掲載された小学生時代の栗田元知事(中央)

  日中戦争に出征した福井県出身の兵士へ、郷里に残した子どもたちの写真を届けようと、1285人分の顔写真と名前を掲載した1939(昭和14)年の新聞が、福井新聞社本社2階の「新聞おもしろ館」に展示されている。県立歴史博物館の学芸員は「戦争で離ればなれになった家族の多さが一目で分かる」と説明。83年前の自分の写真を見つけ、戦争の記憶をたどる人もいる。

 紙面は、39年1月1日付の特別号。「お父さん!私らは元気!」の見出しで、2ページ分を顔写真で埋めている。父親が戦地にいる子どもを募集し紙面を制作、日用品などと一緒に慰問袋に入れて中国戦線に送った。

 名簿は学校ごとに分けられ、「鯖江町惜蔭校」(現鯖江市惜陰小)の56人の中には、元知事の栗田幸雄さん(92)=福井市=の名前もある。栗田さんは今月紙面を確認し「当時小学2年生だが、ぱっと見て自分だと分かる。覚えている先輩の名前もある」。栗田さんの父親は日中戦争が始まった1937年から、鯖江歩兵第36連隊の一員として北支(現中国北部)に2年間出征した。出征後、母親が家で隠れて泣いている姿を覚えており、父親らが戦地から戻ってきた3年生時は「学校で児童らが並び、36連隊の軍人さんらを出迎えた」という。

 県立歴史博物館の橋本紘希学芸員は紙面について「多くの家族が戦場に夫や息子を送り出している状態。戦況を報じるメディアに対する需要が格段に高まっていたはずで、地元のことを知りたい将兵と、戦地へ行った家族に状況を知らせたい人々の間をつないでいたのだろう」と分析する。

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 一方で、橋本さんは「地域社会の戦争協力を促進する役割を果たした面もある」とも指摘する。子どもたちの顔写真を掲載した同日付の紙面は、1面で武漢陥落時の県民の歓喜を掲載した。「日満支三国を枢軸とする新東亜の建設工作は必ずや昭和十四年に於(おい)て其(そ)の礎石(そせき)を固(かた)むるであらう」「我等(われら)国民は皇軍が血を以(も)つて購(あがな)へる偉大な戦果を確保するために愈々益々(いよいよますます)銃後の護(まも)りを強くする決意を固(かた)むべきである」などと書かれている。

 2~3面は「東亜の新秩序へ猛進!!」の見出しで、前年の動きを振り返っている。橋本さんは「県内の戦争協力の取り組みをまとめており、読者に戦争を最後まで戦い抜く覚悟を促している」と話した。

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