近藤誠医師が死去 「がん標準治療否定」で医療界に大きな波紋

 「がんもどき理論」「がん標準治療否定」で医療界に大きな波紋を起こした近藤誠医師が、13日亡くなっていたことが分かった。

著書で「がん放置」を主張、医療界から大きな反発も

 近藤医師は慶應義塾大学医学部卒の放射線科医。1988年に慶應義塾大学専任講師の立場で、文藝春秋に当時日本ではほとんど知られていなかった乳がんの「乳房温存療法」を紹介、切除療法と治癒率が同等の場合もあるにもかかわらず、当時主流であった切除療法を優先するのはおかしいと主張し、大きな話題となった。

 この後、同じ文藝春秋を中心に積極的に寄稿し、乳がんだけでなくすべてのがんにおいて、がんには進行しないか自然に治る「がんもどき」と、進行して死に到るがんの2種類があり、前者は放置しておけばよく、後者は根治治療しても無駄でいずれ死に至るので積極治療する必要はないと主張する「がん放置療法」を提唱。どちらの場合も手術や抗がん剤治療を否定するもので、医療関係者から痛烈な批判を浴びたが、抗がん剤の副作用に苦しむ一部の患者からは共感を得る場合もあった。一般向けの著書はベストセラーにもなった。

 しかし純粋に医学の立場から見れば、近藤医師の主張はその根幹においてまったくエビデンスがなかった。大学在籍時に主張と関連のない数本の論文が学会誌に掲載されたのみで、特に放置療法を主張し始めて以降は医療関係者とほとんど論議することもなかった。2013年に標準治療、特に抗がん剤の副作用に苦しむ患者からセカンドオピニオンを受け付けるクリニックを開設、もっぱら患者に対し標準治療を否定したうえで、信頼性に疑問のある他の選択肢を提示する活動を行っていた。

象徴的だった、故・川島なお美さんへの対応

 近藤医師の活動のなかでもっとも象徴的なのは、2015年に亡くなった女優の川島なお美さんに対して行ったセカンドオピニオンとそれに関連する対応だ。川島さんが死後に発表した著書『カーテンコール』によると、2013年8月に精密検査で胆管がんが見つかった川島さんは、近藤医師のクリニックを訪れ意見を求めたという。川島さんに対し近藤医師は「肝臓は強い臓器だからラジオ波焼灼術がいいと思う」と、肝細胞がんでは標準治療のひとつとなっているラジオ波焼灼術を提案した。川島さんはたまたまその翌日にこの術式を得意とする専門医と会うことになっていたためこの提案を前向きに捉え、さっそく翌日その専門医に相談したが、返ってきた答えは「胆管がんではそれほど成績は良くないしおすすめしない」というものだった。

 つまり近藤医師は「肝細胞がんでは成績良好だから胆管がんでもいいはず」という、エビデンスに基づいていない単なる私見でセカンドオピニオンを行った可能性がある。川島さんも著書のなかで「『私の患者で、胆管がんの人を何人もラジオ波専門医に送り込んだよ』とおっしゃっていましたが、あれって一体なんだったのでしょうか?」と厳しく批判した。

 さらに医療関係者から批判されたのは、守秘義務があると思われるのに、セカンドオピニオンを受けたことと、その内容を彼女の死後に文藝春秋に発表してしまったことである。編集部からのインタビューを受けて回答したというかたちになっているが、その回答の中でも「亡くなった方は守秘義務の対象ではない」と明らかに間違った発言をしており、法制的な観点では刑罰に問われない可能性が強いものの、医師がまっとうすべき倫理性についてまったく守る気がないことを如実に示してしまった。

 川島さんは自身が女優であることから、確かにできるだけ侵襲性の低い治療法がないか、がんの発見後さまざまな関係者にセカンドオピニオンを求め続けており、標準治療に納得し手術を行うまで半年近くかかってしまった。近藤医師のみに責任があるわけではないが、彼が自由診療扱いの高額なセカンドオピニオンを受けておきながら不正確な提案を行い、川島さんの決断を遅らせたのは厳然とした事実だ。川島さんは治療の甲斐なく、2015年9月に亡くなった。

 13日、近藤医師は出勤途中に突然体調を崩し搬送され、そのまま虚血性心不全で亡くなったという。73歳だった。

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