障害年金の支給額に「落とし穴」、多いか少ないかは運が左右する場合も 国が法改正を検討

愛知県の男性が受け取った障害年金の支給決定通知。左下に厚生年金の加入期間として「64月」と表示されているが、支給されるのは障害基礎年金のみになっている

 「年金」というと、高齢者が受け取るものと思われがちだが、若くして事故や病気で障害を負った場合も「障害年金」を受け取れる。国の公的年金には、実は損害保険の性格もあるからだ。ところが、この障害年金には「そんなこと知らないよ」というルールがいくつもある。「運」によって金額が大きく違ってしまう場合があるのだ。(共同通信=市川亨)

 ▽医療機関にかからず退職

 愛知県内の病院で看護師として働いていた関口悠介さん(32)=仮名=のケースが典型的だ。関口さんは2017年、人事異動で重症患者向けの病棟担当になった。昼夜関係なく、重い患者が運び込まれてくる。緊張感を強いられる職場で心理的なプレッシャーが強くなり、ある日、どうしても出勤する気持ちになれなくなってしまった。
 「当時はしんどくて、とにかく仕事を辞めたいという思いだった。精神科にかかるのも抵抗感があった」という。上司に引き留められたものの、そのまま退職した。
 その後、看護師ではなく別の職に就いたが、再び精神的に不安定になり、仕事に行けなくなった。その後に精神科を受診。双極性障害(そううつ病)の診断を受け、障害年金を申請した。看護師の仕事を辞めてから約1年がたっていた。
 障害年金は状態が重い方から順に1~3級と等級があり、金額が異なる。関口さんは2級だ。「障害基礎年金」という種類で、2人いる子どもの加算分を含めて年間123万円を受け取っている。だが、実は本来ならこれよりも50万円超多く受け取れていたはずだ。

 ▽「初診日」がポイント

 どういうことか。ポイントは、関口さんがメンタル不調で初めて医療機関にかかった「初診日」にある。
 

 関口さんが看護師として勤めていたのは民間の病院だったため、当時は厚生年金に加入していたことになる。厚生年金加入中に障害を負ったのであれば、「障害基礎年金」に加えて「障害厚生年金」も受け取ることができる。
 ただ、問題はいつ障害を負ったかだ。目に見えるけがを負った日がいつかは、簡単に証明できるケースが多いが、関口さんのような精神疾患の場合、いつ病気になったのかを証明することは難しい。このため、初めて医療機関を受診した初診日を「病気になった日」とするルールになっている。
 関口さんが精神科にかかった初診日は、民間病院を退職した後。この時は厚生年金ではなく、国民年金の加入期間中だった。その場合、受け取れるのは障害基礎年金だけ。どんなに長く厚生年金に加入していても、関係ない。たとえば勤務していた民間企業を辞め、転職活動中にたまたま事故に遭った場合も、障害基礎年金だけになってしまう。
 なぜこんなルールになっているのか。それは保険が、加入中に起きた事故や病気をカバーするのが原則だからだ。損害保険の例で考えると分かりやすいかもしれない。過去にA損害保険に加入歴があっても、B損害保険に移った後に事故を起こすと、A損保からは保険金を受け取れない。厚生年金も保険であり、正式名称は「厚生年金保険」だ。
 そこに「初診日で判断する」というルールが加わることで「落とし穴」ができてしまっている。関口さんは「そんなことは全く知らなかった」。年間50万円超の差は大きい。「誰も教えてくれなかったし、自分が障害年金を受け取ることになるとは思っていなかった」

 ▽「ごめんね」とつぶやく社労士

 

障害年金の制度上の問題に歯がゆい思いをしてきたという白石美佐子社会保険労務士=7月

 関口さんのような例は、レアケースとは言えない。障害年金の申請代行を多く手がける愛知県の白石美佐子社会保険労務士は、同じような例をたくさん見てきたという。「そのたびに気の毒に感じ、『厚生年金が受け取れなくてごめんね…』と依頼者に謝ったこともある」と話す。
 精神疾患の場合、職場に知られることを恐れて受診をためらう人もいる。若年性認知症やがんなどでも、調子が悪くなって仕事を辞め、その後で医師にかかるというケースがあり得る。
 関口さんが「受け取れたはずだった年金」は年50万円超だったが、厚生年金の加入期間や給与水準によって、金額はもっと大きくなる。さらに、障害が最も軽い3級では障害基礎年金は支給されないが、障害厚生年金は受け取れるという違いもある。初診日のわずかな違いが年金の有無や支給額を左右してしまう構造的な問題に対し、以前から改正を求める声が、障害者や社労士から上がっていた。

 ▽変化の兆し

 初診日によって障害年金の種類が決まる仕組みは1985年改正の法律に基づいている。それ以来、約40年間続いてきたが、ここに来て変化の兆しが見えてきた。
 厚生労働省が2025年に法改正案の提出を目指す年金制度改革で、いわばこの落とし穴に対する「救済策」を設けようと検討しているのだ。

厚生労働省が入る中央合同庁舎第5号館=2015年

 具体的には、厚生年金の加入期間が一定以上ある場合や、退職から短期間の場合は、初診日が国民年金加入中であっても、障害厚生年金の支給を認めるといった案が浮上している。今後、厚労省の審議会で議論されることになる。ただ、対象となるのは制度改正後の新規受給者で、現在の受給者には適用されない見通しだ。
 

障害年金制度に詳しい流通経済大の百瀬優教授(本人提供)

 障害年金制度に詳しい流通経済大の百瀬優教授によると、スウェーデンでは会社退職後も1年間、ドイツでは2年間まで、日本の「厚生」に近い障害年金の支給対象になる。
 百瀬教授は日本の制度についてこう指摘する。「日本は『基礎』と『厚生』の格差が大きく、不利益を被る人が出ないようにすべきだ。ただ、厚生年金の資格を失ってから長期間たった人までカバーするのは、保険の原理から言って違和感がある。退職後、何年間までを対象にするのかなどが論点になる」

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 障害年金 病気やけがで一定の障害のある人が受け取れる公的年金。障害基礎年金と障害厚生年金の2種類がある。「基礎」は2階建ての年金制度の1階部分に当たり、「厚生」は報酬比例で上乗せされる形。受け取るには障害の程度や保険料納付期間などの要件を満たす必要がある。障害の重い順に1~3級に分かれ、支給額は基礎年金の1級で月約8万1千円、2級で約6万5千円。障害の状態に応じて1~5年ごとに更新手続きが必要な場合がある。受給者は2021年3月末時点で約226万人。

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