<社説>全国戦没者追悼式 なぜ「深い反省」避けるのか

 政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、岸田文雄首相は安倍、菅両政権を踏襲し、侵略や植民地支配への加害責任に触れず、「深い反省」「不戦の決意」という言葉も使わなかった。「反省」も「不戦」も表明しない国が、世界から「平和国家」と認めてもらえるだろうか。 式辞では、2020年に当時の安倍晋三首相が初めて使った「積極的平和主義の旗の下」という表現も踏襲した。安倍氏が唱えた「積極的平和主義」は、平和学の差別や貧困を克服して紛争を未然に防ごうという「積極的平和」と全く異なる。集団的自衛権行使や武器輸出三原則を見直して、より積極的に紛争などに関わるというもので、「戦争のできる国」を目指すものだ。

 対照的に、天皇陛下のお言葉は「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」という表現を今年も踏襲した。なぜ首相は「深い反省」を避けるのか。

 1994年の村山富市首相以来、式辞で歴代首相はアジア諸国への加害責任を反省し、不戦の誓いを述べてきた。95年の「村山談話」では「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」とし「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。

 しかし、2013年の第2次安倍内閣から「加害責任」「反省」「不戦の誓い」が消えた。15年には「戦争をしない決意」と述べたものの、天皇陛下の「さきの大戦への深い反省」というお言葉とは大きな隔たりがあった。

 「深い反省」をしないのは、アジア諸国に対する侵略と植民地支配という加害責任、国民を戦場に送り戦禍にさらした責任を認めたくないからではないか。「不戦の誓い」をしないのは、集団的自衛権行使や敵基地攻撃能力保有などを進めることに反するからであろう。

 戦後処理を巡っては国内にも国際的にも未解決の課題が山積している。今回、首相は「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません」と述べたが、政府の取り組みはあまりに不十分だ。ましてや、沖縄本島南部の遺骨を含む土砂を基地建設に使用するのはもってのほかだ。「黒い雨」問題など被爆者援護の課題もある。各地の空襲や沖縄戦の民間人の被害の救済も、一切認めていない。

 終戦記念日は韓国にとっては日本の植民地から解放された日だ。3閣僚がA級戦犯を合祀する靖国神社を参拝し、韓国、中国が反発した。韓国との間では徴用工や従軍慰安婦への賠償問題も未解決だ。

 これらはいずれも国として「痛切な反省と心からのおわび」をすることが前提だ。その解決が信頼につながり、ひいては安全保障につながる。戦争責任への反省なしに軍備拡大競争に突き進むことはあまりにも危険だ。

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