少女像の隣に座った「若い女性」へのファインダー越しの視線 「表現の不自由展」参加者が歴史認識や政治イデオロギーとは関係なく味わった「気持ち悪さの正体」 

少女像の横でミカは男性たちから写真を撮られた=2021年7月、大阪市

 東京や大阪で昨年、開かれた「表現の不自由展」。昭和天皇の肖像をコラージュした作品を燃やす映像や戦時中の慰安婦を象徴する「平和の少女像」の展示が物議をかもし、開催の是非を巡って紛糾した。ただ、その後も不定期に開催され、今年の夏も京都、名古屋、神戸と続いている。私は昨年7月に大阪で開かれた会場内の様子を取材したが、そこで目にした光景に恐怖や嫌悪感を抱いた。ただそれは、歴史認識や政治イデオロギーの違いから来るものとは全く別物だった。(共同通信社会部)

 ▽「気持ち悪くて、うーってなりました」

少女像の後ろの壁に掲載されていた無断撮影を禁じるポスター

 大阪の会場で取材中、慰安婦を象徴する「平和の少女像」の隣に、20歳そこそこの若い女性が座った。するとそこに、中年の男性3人が取り囲むように陣取り、勝手に撮影を始めた。私は像の脇にいたが、女性の背中がこわばって見えた。近くの壁には「となりに座る方の写真は本人の了承なしに撮らないでください」と書かれた張り紙があった。
 胸騒ぎがして、その後、出口付近でこの女性、大学生のミカさん(仮名)に声をかけた。ミカさんは第一声、「気持ち悪くて、うーってなりました」と漏らした。勝手に撮影する男性らのファインダー越しの視線に、恐怖を覚えたという。
 ミカさんは議論を巻き起こしている不自由展に興味を持ち、このために九州地方から来阪していた。会期は3日間あったが、到着初日はすでに売り切れ。翌日に早朝から並んでようやく手に入れたという。会場の外では街宣車が走り、拡声器でどなる人や、開催を守ろうとする人、警備の警察官、報道陣などでごった返していた。

 ミカさんは入場してすぐ、少女像のところに向かった。比較的すいており、近くにいたスタッフに「一緒に写真撮りましょうか?」と声をかけられた。張り紙もあったので安心してマスクを外し、スタッフに自分のスマートフォンを渡し、座った。
 少し前から会場にいた私は、無断撮影の男性らが、スタッフから見えない後ろの位置をあえて選んでいるように見えた。
 作品から離れた後、ミカさんはしばらくの間、来場者の感想が書かれた無数のポストイットが敷き詰められたボードをながめていた。その時の気持ちを「同じように気持ち悪い思いをした、って書いている人がいないか探してたんです」と明かした。

ミカが同じ気持ちを抱いた人を探した来場者が感想を書き記したポストイット

 同じような光景は、ミカさんと出会う前にも目撃していた。20代前後の女性が、少女像の隣に座ろうとする。私は記者であることを名乗り出て「座る姿を後ろから撮らせてほしい」と許可を取り、撮影を始めた。そのほんの十数秒の間に、女性の正面に回り込んだ数名の男性が断りもなく写真を撮っていった。私への許可に便乗した横暴な行為に驚き、女性に対し罪悪感を覚えた。申し訳なさが先立ち、写真を記事に使用することはあきらめた。

 ▽少女像と若い女性に向けられた中年男性の「視線」
 ところで「平和の少女像」は何を表現しているのだろうか。例えば、東京での不自由展のSNSではこんな意図だったと説明されていた。
「日本軍『慰安婦』制度の被害にあい、傷ついたり命を落としたりした女性を追悼し、二度とこのようなことは起こさないというメッセージの込められた作品です」
 

「表現の不自由展かんさい」会場に展示された「平和の少女像」=2021年7月

 像には、作者の言葉が添えられている。「隣に座ってみてください。手で触れてみてください。平和への意思を広めることを願います」。作品は、見る人が隣に座り、少女と同じ目線に立つことで完成する。
 愛知県の大村秀章知事が実行委員会会長を、名古屋市の河村たかし市長が会長代行を務めた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展として開かれた「表現の不自由展・その後」は、「公費支出はおかしい」と批判が起きたのを皮切りに、右派の政治家らから抗議が相次ぎ、一時中断される事態になった。その後の各地での不自由展も「反日プロパガンダ」などと会場や主催団体にクレームが集中、脅迫事件も相次いだ経緯がある。
 開催の是非や政治的メッセージについて言及するつもりはない。ただ、私が見たあの異様な光景は何だったのか。消化できずもんもんとしていた。そこで、半年以上たった今年3月、改めてミカさんに会いに行き、話を聞いてみた。

 ▽少女像を下からあおったり、上からのぞきこんだり…
 「全部覚えてます。左にいた一眼レフのおじさんがロン毛気味の白髪で。スマホを持っていたおじさんは手帳型のカバーを付けていました」。撮影していた男性3人の様子を再現し始めると声が震え、涙がにじんだ。
 「いつもなら『やめてください』と言えるのに。いざとなったら言えないもんですね」。中高年の男性らに囲まれ、苦情を言うのもはばかられたという。
 ミカさんの不自由展への関心は当初からとても高く、愛知の企画展会場も訪れたが、抽選に外れて入場できず、ようやく鑑賞できたのが大阪だった。
 「それぐらい何があるのか見たくて。(会場を)何周でもしてやろう、全部見てやろうって思ってたのに、ショックで50分の観覧時間のうち半分もいられなかった…。他の展示は何も覚えていません」
 ミカさんは、自分が撮られた後、他の来場者も同じように撮影しているのか確かめたくて、しばらくその男性らを視線で追っていた。だが年上の女性や男性が少女像の隣に座っても、カメラを構えることはなかった。
 自分の写真が何に使われているか。不安になり、会場を後にしてから、SNSの検索ワードに「少女像 女性」「少女像 若い女」などとたくさんの単語を入れて、繰り返しチェックした。

 実は、撮られる前から一部の男性らの少女像そのものの撮り方にも違和感を持っていたという。下からあおったり、上からのぞきこんだり。「スカートの中を撮りたいの?」とすら思う構え方をする男性もいた。そうした彼らも早朝から並び、大変な思いをしてチケットを取っているはずだと思うと、行動が理解できず、ぞっとしたという。

「表現の不自由展かんさい」開催最終日に、チケット完売を知らせるスタッフ=2021年7月、大阪市

 この経験の後、ミカさんの心の中に「透明人間になりたい」との気持ちが生まれた。中高年の男性の視界に「若い女性」として入ることが怖い。髪の毛を結び、帽子をかぶり、ジャージーを着る日が増えたという。

 ▽重なった“性の搾取”、虐げられた感覚
 ミカさんは今回、取材を受けるにあたり、何に恐怖を感じたのかを言葉にしようと必死に考えたが、「気持ち悪い」以上の言葉がなかなか出てこなかった。ただ「同じ視線」を浴びたことがある、と思い出したように切り出した。
 ミカさんはシングルマザーの元で育ち、家庭が裕福ではないため、男性相手の接客業のアルバイトで学費や生活費を稼ぐ。客の中には、禁じられているセクハラ行為をし「無理やりすることにロマンや意味がある」と話す人がいるという。女性を対等な人間として扱わない―。そうした振る舞いをする客らの視線と重なったと打ち明けた。
 少女像のモデルは、戦時中、慰安所などで兵士らの性行為の相手をさせられた若い女性だ。強制性などを巡って議論があることは承知するが、当人にとってみれば「性の搾取」そのものだった。
 ミカさんが不自由展で受けた被害は、虐げられた感覚を抱いた点で同じだったといえる。二度と女性が戦時中に性暴力に遭わないよう、被害者の苦しみの追憶と啓発の思いが込められた少女像が、新たな性の搾取の舞台回しとして使われているのではないか、との懸念。その二重構造に絶句するしかなかった。

 ▽表現の自由と男女平等と
 ミカさんの話を聞いた私は今年4月、東京都国立市での「表現の不自由展 東京2022」に赴いた。31歳で女性の自分も、少女像の横に座って体験してみようと考えたからだ。

「表現の不自由展かんさい」の会場前で警戒する大勢の警察官=2021年7月、大阪市

 会場は、騒がしさと物々しい警備の中で行われた大阪の時から時間が経過していたこともあり、静かだった。少女像に優しく触れる男性や、隣に座り像を見つめる人々。大阪では、少女像を蹴ろうとする人や侮蔑するような発言を像に投げかける男性もいたが、そうした光景は全く見られない。
 50分の滞在中、他人を勝手に撮る人は見かけなかった。像の近くにいたスタッフも、開催中にそういった行為は見ていないと話してくれた。私も初めて少女像の隣に座り、触れてみた。不審な人物はおらずホッとしたが、見えない周囲の視線に敏感になっていることに気付いた。なぜか引け目を感じ、逃げ出したい思いに駆られた。
 ミカさんや別の女性を無断で撮影した男性らに話が聞けなかったため、彼らがどういう意図で撮影していたのかは分からない。ただ悪意がなかったとしても、「若い」「かわいい」と品定めするように、ジェンダーギャップ指数が世界でも下位層にある日本社会のマジョリティーで優位に立つ男性から女性に注がれる視線や所作は、不愉快かつ恐ろしいものだった。
 性別に関わらず、社会的に強い立場にある者は、自らが取る無意識の行動や視線が圧力となり、弱い立場の誰かを傷つけることがあることに自覚的であるべきだろう。「表現の自由」という人権を考える展覧会は、社会的な弱者への配慮といった別の人権を考える側面を持っていた。

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