<社説>ひめゆり資料館に平和賞 一層問われる実相の継承

 ひめゆり平和祈念資料館に沖縄平和賞が贈られる。戦争の恐ろしさ、平和の大切さを伝える地道な活動とともに、戦争の実相をいかに継承していくかとの命題に向き合い続けてきたことが評価された。 今後は県民をはじめ多くの人々が資料館をどう生かすかが一層問われている。

 資料館は陸軍病院に動員された師範女子部と県立第一高等女学校の生徒らによる「ひめゆり学徒」について資料や証言で伝える。

 県史によると、軍の看護婦として女子学徒を召集する法的根拠はなかった。本土決戦を遅らせるために軍が県の協力を得ながら行った根こそぎ動員と持久戦で、住民の犠牲者が兵士を上回った沖縄戦の特徴を後世に伝える施設だ。

 「ひめゆりの乙女たちが美化されて再びあのような悲劇を繰り返させるのではあるまいか」。学徒を引率した教師の一人の仲宗根政善氏が戦後30年の1975年に日記に記した言葉である。仲宗根氏は二度と子どもたちを戦場に赴かせないと元学徒らと共に資料館の設立に尽力。89年に開館すると初代館長を務めた。

 美化させないために戦争の実相を伝える。その活動の柱は元学徒ら「証言員」による体験の説明だった。しかし、証言員は高齢化していく。

 証言員がいなくなった後、どう伝えるか。資料館は2002年、体験の継承を模索する「次世代プロジェクト」を立ち上げる。証言員らが平和ガイドの養成が進む欧州を視察。ナチスドイツによるユダヤ人強制収容の歴史を伝えるポーランドのアウシュビッツ国立博物館で、日本人が公式ガイドとして活躍する様子を確認。05年に非体験者の「説明員」を初めて採用し、語り部の後継者育成に努めてきた。

 展示内容についても模索を続けている。04年には戦争前の学校生活の様子を加え、若者が同じ世代の体験として沖縄戦を捉えられるようにした。21年には「戦争からさらに遠くなった世代へ」をテーマにリニューアル。30~40代の職員らを中心に構想した。

 学徒として動員された世代の90歳以上は県内人口の1.6%。80歳以上を合わせても7.3%に過ぎない。伝える側、聞く側で体験者が減る中、いかに戦争体験をつなぐか。不断の取り組みを続けている。

 住民を巻き込んだ地上戦がウクライナで続く。沖縄戦で得た教訓を今まさに国際社会が共有する必要がある。

 資料館は海外の先進例に学び、英語のほか、アジアの言語にも対応し、これまで2300万人が訪れた。世界に平和を発信してきた資料館が受賞することは意義深い。

 学ぶ努力と継承への強い思いがあれば未体験の世代でも語り伝えることができる。平和祈念資料館が実証してきたことだ。国際平和創造に貢献するという平和賞の理念の実現は今に生きる私たち世代にとっても責務だ。

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