70年かかる国内初の核燃料再処理施設の解体、数十秒で人が死ぬ強力放射性物質を安定化せよ 東海村での1兆円巨大プロジェクト、熟練技術者続々定年で若手確保が課題

 日本原子力研究開発機構が使わなくなった「東海再処理施設」(茨城県東海村)の廃止措置(解体)の担い手確保が課題となっている。2014年に廃止が決まり70年かけて作業を進める計画だが、同施設で働く機構職員は最盛期から4割減り、熟練技術者は定年を迎えて次々と退職している。一方で「技術を引き継いで取り組みたい」と意欲を示す20代の若手も廃止措置の最前線にいた。人がそばにいれば数十秒で死ぬともされる強力放射性物質を安定化させ、総額1兆円規模となる巨大プロジェクト。岸田政権は原子力の「最大限の活用」を打ち出すが後始末も避けて通れない。(共同通信=広江滋規)

 日本原子力研究開発機構の東海再処理施設=2021年10月、茨城県東海村(共同通信社ヘリから)

 ▽廃止は1兆円の費用がかかる巨大プロジェクト

 再処理施設は1977年、原発の使用済み核燃料からプルトニウムとウランを取り出す国内初の「再処理」を始めた。2007年までに約1140トンの燃料を再処理したが、東京電力福島第1原発事故後に再稼働するには多額の安全対策費がかかることから廃止が決定。再処理の過程で発生した極めて強い放射線を出す廃液の固化処理が、目下の最優先課題となった。

 機構によると、廃液は現在約350立方メートル。発熱しており、冷却機能が失われると沸騰して放射性物質が外部へ漏れる恐れがある。安定化させるためにガラスと混ぜ固めて「ガラス固化体」にする。2028年度末までに約550本作って固化を終え、機器や建屋の解体に進む。廃止は1兆円の費用がかかる巨大プロジェクトだ。

 ▽50代は10年たてばいなくなる

 再処理施設の運転がピークを迎えた1994年、機構職員は約400人いたが、今年4月には226人に減少。年代別では30歳未満55人、30代32人、40代61人。最多は50代の78人で35%を占める。機構の再処理廃止措置技術開発センターの中野貴文廃止措置推進室長(51)は「30代に谷間ができてしまっている。50代はかなり多いが、10年たてばいなくなり運転経験者が少なくなる」と話す。

 原子力規制委員会も人材確保の状況を注視する。伴信彦委員は今年1月、「廃止措置が何十年もかかる中、どういう形でプラントに精通した人間を今後確保していくのか」と懸念を示した。

 ▽絶対に落としてはいけない緊張感

 

 東海再処理施設のガラス固化技術開発施設の制御室で、遠隔操作クレーンのレバーを動かす山内祥さん=6月、茨城県東海村(日本原子力研究開発機構提供)

「(生まれ故郷の)福井県から出た使用済み核燃料を自分の手で処理したい」。同センターガラス固化処理課の山内祥さん(26)は、廃炉が決まった高速増殖原型炉もんじゅがある福井県敦賀市出身。父と兄が原発で働き、就職活動でもんじゅを見学して使用済み核燃料の行方に興味を持った。2014年に機構に入り、固化作業に用いる遠隔操作クレーンの運転員となった。

 固化体は、人がそばに数十秒いると死亡するほどの強い放射線を出すため、放射線を遮る分厚いコンクリートで覆われた「セル」という部屋で扱う。人は立ち入ることができず、山内さんは制御室で6台のモニターを見ながらセルの中のクレーンを操る。

 「当初は、画面上で奥行きの感覚がつかめず苦労した。作業の全てがマニュアルに書いてあるのではなく、先輩から今も学んでいる」。固化体は、長さ約1メートル、直径約40センチ、重さ約300キロ。遠隔操作のクレーンで持ち上げて収納台に載せるまで約30分かかる。「絶対に落としてはいけない。遠隔操作は緊張感があって手が汗ばむ」と山内さん。

 東海再処理施設のガラス固化技術開発施設の制御室で、遠隔操作機器を動かす山内祥さん=6月、茨城県東海村(日本原子力研究開発機構提供)

 これまでに約100本の固化体製造に関わり、なかには関西電力美浜、大飯原発など山内さんの故郷福井県の原発で使われた核燃料由来の物もあったという。

 50代の技術者は、ガラス固化が始まった1995年より前に、まだ汚染されていないセル内に入った経験があり、設備の位置関係を熟知しているという。山内さんにはそうした経験はない。「技術を継承していきたい。電気をつくるために使用した燃料から出たごみを安全な形にしている仕事。ごみを将来に残すわけにはいかない」と話した。

 ▽食品、IT業界より歴史に残る仕事

 固化体は地下深くに埋めて人間の生活環境から数万年以上遠ざける必要がある。安定した固化体の製造に向けて廃液の成分を調べる分析課の青谷樹里さん(28)は、日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)が将来動き出して廃液が発生する際に、東海再処理施設で培った分析技術が役立つと考えている。
 「原子力は遠い存在ではない」と話す青谷さん。茨城県東海村に生まれ、日本の原子力史上で初めて被ばく死亡事故が起きた1999年の燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)の臨界事故時は保育園児だった。「外に出ちゃだめ」と家族に言われ、いつもと違うことが起きていると感じたという。大学では生物学を学び、就職活動で食品業界やIT業界なども考えたが「再処理施設の廃止は国内初で、自分の働きが歴史として後に残る」と機構に決めた。

 

 東海再処理施設の分析所で低レベル放射性廃液の成分を調べる青谷樹里さん=6月、茨城県東海村(日本原子力研究開発機構提供)

低レベル放射性廃液を分析する際には半面マスクを着け、密閉容器内の廃液を4重の手袋で扱い、ウラン濃度の測定などをする。体から廃液までの距離は50センチ程度。青谷さんは「放射性物質は目に見えないが、測定器を使うことでどこにどのくらいあるか分かるので、怖さを感じたことはない」と話す。一方で「熟練技術者は装置の癖や部品交換の時期、分析値が想定内か変なのかを知っている。自分が分析した値が正しいのかどうか、まだ判断しきれないので、もっと教えてもらいたい」と話した。

東海再処理施設の場所

 再処理施設では今年6月、ガラス固化作業と並行して核燃料を切断する設備などに残った核燃料物質を回収する「工程洗浄」が始まった。各設備に残る核燃料物質の量は核物質防護上の理由で非公表だが、ガラス固化体15本相当になるという。

 約15年ぶりに動かす設備もあり、中野氏は「順調な時はマニュアル通りの操作でいいが、異常に気がつく感性は経験がないと身につかない。若手も混ぜて優先的に(工程洗浄を)やっていきたい」と話した。

 ▽なかなか来ない人材

 日本原子力産業協会が主催する企業説明会に参加する学生数は2010年度に約1900人いたが、福島第1原発事故後は低調で2021年度は380人だった。

 自民党の原子力規制に関する特別委員会は、事故後に再稼働した原発が10基にとどまる現状を「人材もなかなか来ない、サプライチェーンも欠けていく危険な状況でもある」(委員長の鈴木淳司衆院議員)と指摘する。政府は、ロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格高騰や脱炭素化への取り組みとして、原子力を最大限活用する方針を打ち出すが、原子力離れの歯止めとなるかどうかは見えない。

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