すめない環境にしたのは誰なのか 人間の哀れさを知る 【コラム・明窓】

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 国家としての振る舞いを見れば、なるほどとうなずいてしまう。「中華」とは中国、漢民族こそが世界の中心であり、他に優越している、という考えを意味する。

 ならば世界の中心の中心はどんな所だろうと、思いつき程度に足を運んだことがある。北京でも上海でもなく、訪れたのは広大な国土のほぼ中央とされる陝西省漢中市。何をするでもなく、中心部の広場で行き交う人を眺めながら缶ビールをあけた記憶がある。20年ほど前の当時、そこが絶滅したとされていた野生のトキが発見された地で、島根県出雲市の友好都市であることは知りもしなかった。

 その交流が縁でトキの飼育と繁殖を始めた出雲市が、環境省の放鳥候補地に選ばれた。地元の空に羽ばたくとなれば、飼育関係者のみならず、交流を続け両市の関係を育んできた人たちもさぞ感慨深いことだろう。

 その日は近いと思いきや、そうでもないらしい。放鳥の実現には浅い水辺の餌場、ねぐらや営巣場所となる森林の整備などが必要になるという。そもそもトキの生息に適した環境とは新たにつくり出すのではなく、元の自然に戻すことのはず。

 考えてみれば、「朱鷺(とき)色」と名の付く美しい羽毛をとるために乱獲し、すめない環境にしたのは誰なのか。絶滅危惧種の保護や生物多様性を学ぶことは、あたかも自然界の中心にいるかのようにわが物顔で振る舞う人間の哀れさを知ることである。

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