今夏レアル・マドリーを退団し、レアル・ソシエダに加入した久保建英。いきなり開幕戦でゴールを決めるなど、ようやく再ブレイクの兆しがある。
ということで、今回は「レアル・マドリーを退団してから再ブレイクした選手」を特集しよう。
フアン・マタ
レアル・マドリー所属:2003~2007年
成績:0試合0ゴール
レアル・マドリーの下部組織で育ったことが忘れられがちなフアン・マタ。トップチームでの実績はなく、Bチームにあたるカスティージャでプレーした後にバレンシアへと移籍し、そこでブレイクを果たした。
2009年にはスペイン代表にも招集され、さらにイングランド・プレミアリーグのチェルシーやマンチェスター・ユナイテッドでも活躍。世界屈指の司令塔として名を知られるようになった。
サミュエル・エトー
レアル・マドリー所属:1996~2000年
成績:7試合0ゴール
カメルーンから16歳でレアル・マドリーに加入したエトー。Bチームが3部に降格して外国人枠がなくなってしまったため、レガネスやエスパニョール、マジョルカへと貸し出されることになり、2000年に完全移籍した。
そしてそのマジョルカでの3シーズンで大ブレイクを果たし、2004年にはレアル・マドリーの宿敵であるバルセロナへと移籍。ロナウジーニョらとともに黄金期の3トップを形成した。
ファビーニョ
レアル・マドリー所属:2012~2013年
成績:1試合0ゴール
リオ・アヴェからのローンでレアル・マドリーに加入していたことで有名なファビーニョ。しかしスペインではほとんど実績がなく、Bチームにあたるカスティージャでシーズンを過ごしていた。しかもポジションはサイドバックであった。
しかし2013年に加入したモナコで後にボランチへと転向し、新たな地平を切り拓く。さらにPKキッカーとしても活躍を見せ、リヴァプールへとステップアップしていった。
ゼ・ロベルト
レアル・マドリー所属:1997年
成績:21試合1ゴール
レヴァークーゼンやバイエルン・ミュンヘンで大きな活躍を見せたブラジル人の名レフティ。サイドバックからアタッカーまでこなし、効率的で知的なスタイルで一世を風靡した。
彼が最初に欧州へと足を踏み入れた場所はレアル・マドリーだったが、わずか半年のみの所属だった。リーグ優勝は経験したものの、自身がスペインに馴染めずに母国へと戻り、改めて1998年にドイツへと渡っている。
エステバン・カンビアッソ
レアル・マドリー所属:1996~1998、2002~2004年
成績:65試合1ゴール
16歳で弟のニコラスとともにレアル・マドリーに加入したエステバン・カンビアッソ。2年所属したあとにアルゼンチンへと戻り、それからインデペンディエンテでプロデビュー。2002年にはレアル・マドリーへと復帰することになった。
スペインでは改めて2シーズンを過ごし、貴重な役割は果たしたものの絶対的な立場とはなれず。2004年に契約満了で退団し、イタリア・セリエAのインテルへと移籍した。そこでは2014年まで長く中心選手として活躍。
アリエン・ロッベン
レアル・マドリー所属:2007~2009年
成績:65試合13ゴール
バイエルン・ミュンヘンではサイドエリアからのカットインで多くのゴールを生み出したアリエン・ロッベン。しかし、PSVアイントホーフェンを退団してからチェルシー、レアル・マドリーの2チーム時代は決して才能が開花していたわけではなかった。
多くの怪我に悩まされたこともあって、リーガでは2年で11ゴールと不本意な成績に。しかし2009年にバイエルン・ミュンヘンへ移ると、いきなりブンデスリーガで16ゴールを決めるなど再ブレイクを果たした。
ウェスリー・スナイデル
レアル・マドリー所属:2007~2009年
成績:66試合11ゴール
彼がレアル・マドリーで苦戦していたのかどうかといえば、そこまでではないだろう。ただ怪我の問題があったために2年目は出場機会が限られ、才能を発揮できたかといえばそうではなかった。
ただ2009年に移籍することになったインテルでは、その才能が100%発揮された。伝説的な3冠の達成にも貢献し、キャリアの頂点を極める活躍を見せたといえる。
クラース=ヤン・フンテラール
レアル・マドリー所属:2009年
成績:20試合8ゴール
レアル・マドリーでのフンテラールは不運だった。2009年1月にアヤックスから加入したが、クラブはラサナ・ディアラを選んでチャンピオンズリーグに登録したため、彼はUEFAの大会には出られず。リーガでも7回の途中出場があったが、そこで8ゴールと結果を残した。
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ただ、彼はわずか半年でミランへと移籍。さらに2010年にシャルケ04へと渡り、ドイツでストライカーとして再ブレイクを果たしている。