巧みな表現力で私小説のように名曲を紡いだシンガー・ソングライター、ジャニス・イアンの名作『スターズ』

『Stars』(‘74)/Janis Ian

先頃、米国で開催された伝統の『ニューポート・フォーク・フェスティバル』でジョニ・ミッチェル(1943〜)がサプライズで登場し、「Both Side Now(邦題:青春の光と影)」や「Circle Game(邦題:サークル・ゲーム)」「Big Yellow Taxi(邦題:ビッグ・イエロー・タクシー)」を歌ったほか、ギターも弾いてみせた。難病に冒されて一線を退き、一時は死線を彷徨うほどだっただけに、パフォーマンスを披露するまでに回復したジョニの姿に会場中はもちろん、ネット動画を観た世界中のファンが感動に包まれた。2007年に発表したアルバム『Shine(邦題:シャイン)』以降、活動が途絶え、ステージでの歌声となると22年振りのことで、このニュースはネット上でトップで報じられた。

1960年代から活躍するアーティストの中には、そろそろ現役引退を表明する人も増えてきた。中には7月26日に79歳の誕生日を迎えてなお、ストーンズのツアーを続け、広いステージを駆け、シャウトするミック・ジャガーのような超人もいるにはいるが…。

今回の主役はジャニス・イアン(Janis Ian)。今年、彼女は15年振りとなる新作『Light At The End Of The Line』を発表したのだが、自身のコメントによると、本作は自身、最高傑作を自認するものであり、なおかつ最後のスタジオレコーディング作になるだろうとのことだ。冒頭で紹介したジョニ・ミッチェルよりは7歳若いのだが、彼女も現在、71歳になるという。フェアウェル・ツアーも計画されているそうだ。

親日家であり、過去に何度か来日して、日本での公演をライヴ盤としてリリースもしているので、生の彼女のステージを知る人も少なくないと思う。が、それも世代的には60歳以上の方が多いだろう。

1951年、ニューヨークはハドソン河をはさんでマンハッタンの対岸、ニューアークにほど近いニュージャージー州イーストオレンジ生まれ。ジョーン・バエズ、オデッタに憧れ、12歳の時に初めて書いた曲「Hair of Spun Gold(邦題:金色に輝く髪)」がフォーク雑誌『ブロードサイド』に掲載されたことが、この世界への最初の足がかりとなる。そして1966年、わずか15歳で人種差別への批判を歌ったプロテストソング「Society’s Child(原題:Baby I’ve Been Thinking)」でレコードデビューする。これは、当時はまだタブー視されていた異人種間の恋愛をテーマにしたもので、ジャニスは13歳の時にこの曲の作詞・作曲を思い立ち、約1年をかけて完成させたそうだ。実は生まれ育った地域はアフリカ系アメリカ人が多く暮らすところだったのだとか。そのことが、この曲を書かせた源泉となっているようだ。1966年の秋頃には多くの都市で上位にチャートインし、翌年には全米で大ヒットとなる。いきおい“天才少女出現”と騒がれるのだが、想定外の成功とマスコミにもてはやされたことは彼女に大きなプレッシャーとなり、2曲目のヒットは書けず、やがて低迷、レーベル解雇となる。私生活も若くして結婚、離婚を経験するのだが、それさえもが早すぎたのではないか。

それから数年、ジャニスは表舞台から去ることになるのだが、言うまでもなく彼女は非凡な才能の持ち主だった。静かに暮らす中で、コツコツと曲を書き溜めていた。そのうちの1曲が「Jesse」だった。

はじめ、ジャニスはベトナム帰還兵をイメージして書き始めたが、もっと普遍的な意味を持つように、愛する人がいつ帰ってくるのかと待ちわびる淋しい心のうちを描くストーリーに変える。同時にリスナーが自分の身に置き換え、イメージを膨らませるように静かに語りかけるものにした。それはジャニスの最も得意とする表現スタイルだった。この曲がちょうどアルバム『Killing Me Softly 』(‘73)を準備していたロバータ・フラックに提供されると、タイトルチューン「Killing Me Softly」に続き、アルバムに先駆けて「Jesse」(‘72)がリリースされると全米30位の大ヒットになる。このヒットが呼び水となり、フラックのアルバムはUSポップチャート3位、US R&B;チャートで2位となるヒット作となるのだ。

この結果は俄然、作者であるジャニスに注目が集まることになり、1974年にコロンビアレーベルよりアルバム『Stars(邦題:ジャニスの私小説)』で、ついに再デビューとなる。

アレンジャーとしての才能も示した、 生まれ変わったジャニスの傑作

レコーディングはロサンゼルスとニューヨークで1972年から1年ほどかけて行なわれている。アルバムが1974年2月にリリースされると、“これが「Society’s Child」を歌ったあのジャニスなのか?”“いや、紛れもなくジャニスだ!”と、反響は予想以上に大きかった。が、共通するのはアルバムが素晴らしいものであり、後世まで聴かれ続けられるべき傑作であると絶賛したのだ。

かつてのジャニスとの違いに驚いた人はその大人びたサウンドに対してだったのだろう。ヒュー・マケセラやジョン・トロペイ、リチャード・デイヴィスといった著名なプレイヤーを含む、バック陣はジャズ系の面々が固めている。結果、サウンドはこの時代においては非常に洗練されたものになっている。ことさら比較するわけではないが、やはりジョニ・ミッチェルがトム・スコットやラリー・カールトン、クルセイダーズのメンバーとジャズ路線に舵を切ったアルバム『Court and Spark(邦題:コート&スパーク)』(‘73)を出している。時期的にほぼ同時期、あるいはジャニスのほうが若干早いと思えるが、ここで先見性を競わせるつもりなどない。ローラ・ニーロやジェームズ・テイラーもそうだったように、今思えばフォーク系アーティストのジャズ、フュージョン指向が表れた時代だったことが浮かび上がってくるわけである。

ジャニスに話を戻すと全曲オリジナルで、ジャズメンのセッション、それ以外のオーケストラを導入した曲についてもジャニス自身がアレンジにも関わっている。質の高い楽曲が揃うなか、「Jesse」と並ぶジャニスの代表曲となるタイトルチューン「Stars」の素晴らしさには口うるさい評論家筋も脱帽だった。

この歌は華やかなショービジネスの世界で生きることの苦しみと悲しみを切々と歌われるという内容だ。それは若くして成功と苦難を知ったジャニス自身の体験が投影されているのだろうか。同時にジュディ・ガーランドやビリー・ホリディ、ベッシー・スミスなど、彼女以外の何人もの女性アーティストの顔も自然と浮かぶ。そして、あの女性も…。

ジャニスは本作をきっかけにブレイクする。以降、翌年、1975年にはさらにジャズとストリングスを生かしたアルバム『Between the Lines(邦題:愛の回想録)』も全米No.1になり世界的にヒット。グラミー賞も獲得し、時の人になる。同作からのシングル「At Seventeen(邦題:17才の頃)」が全米キャッシュボックス誌でNo.1になる。とりわけ日本での人気はちょっとしたものだった。1976年にシングル「LOVE IS BLIND (邦題:恋は盲目)」がドラマ『グッドバイ・ママ』に使用され、日本のオリコン洋楽シングルチャートで1976年9月13日付から8週連続1位を獲得する。同曲の収録されたアルバム『Aftertones(邦題:愛の余韻)』は日本の洋楽アルバムチャートで半年間に渡って首位を記録する。1977年にはシングル曲「Will You Dance?」が、TBSドラマ『岸辺のアルバム』の主題歌に使われ、同曲を収録したアルバム『Miracle Row(邦題:奇跡の街)』は日本だけで100万枚を超えるセールスを記録するという、前例のないほどのヒットだった。

そんな彼女でさえ、80年代に入るとまた低迷する。2度めの結婚に失敗、病気等も重なり、コンスタントに活動ができなかったらしい。

「Stars」にまつわる、 もうひとつのドラマ

1976年のモントルー・ジャズ・フェスティバルは一人の女性アーティストのパフォーマンスによって、長く語り継がれるものになった。その女性とはニーナ・シモン(Nina Simone、1933-2003)。米国初の黒人クラシック・ピアニストを目指したほどの卓越した演奏家であり、ジャズ、R&B;、ゴスペル、ブルースを縦断したシンガー、そしてマーティン・ルーサー・キング牧師を師と仰ぐ公民権運動の闘士でもあった。その彼女がほぼ10年振りにモントルーのステージに立った。それは、この間に栄光と挫折を繰り返した女王の全身全霊をぶつける激情のステージだった。充分な音楽活動の機会が得られない状況、米国を離れ、アフリカやスイスと住まいを変えざるを得なかったこと、私生活の破綻、過度の飲酒等、トラブルまみれだったことが嘘のように、それは圧倒的なものだった。そしてアンコールでドラマは起こる。

ピアノに座り、シモンが歌い出したのはジャニス・イアンの「Stars」だった。ところが観客席を歩く人を目にすると彼女は歌を中断し、怒気をはらんだ声で「座りなさい…。座れ!」と一喝するのだ。いつしか観客を叱りつけるアーティスト=ニーナ・シモンという有り難くないイメージまでつけられることになる有名な事件だった。

もっとも、彼女にとっては事件というほどのことではなく、以前から「私は客に失礼な態度を取られた時には、それは私の音楽に対する冒涜であるから演奏を中断することにしている」と公言していたから、その考えに従ったまでのことだった。観客席を歩いていたことがどれほど失礼なことなのかは判断がつかないけれど…。

会場は一瞬凍りつくが、やがて拍手に包まれる。そしてニーナ・シモンは何事もなかったように再び「Stars」を歌い始める。この有名なシーンは彼女のドキュメンタリー映像作品『ニーナ・シモン〜魂の歌』(2015年Netflixで公開)のハイライトとして紹介されている。

※最初のほうで紹介したジャニスが最後のスタジオレコーディング作としている最新作『Light At The End Of The Line』(’22)には敬愛するこのニーナ・シモンにあてて「Nina」という美しい曲が収められている。

70年代〜80年代、ジョニ・ミッチェルやカーリー・サイモン、リンダ・ロンシュタット、キャロル・キング…と、名だたる女性シンガーらがチャートを彩った時代だが、彼女たちほどカリスマ性を持ち合わせてはいないにせよ、星の数ほどの魅力あるシンガーが現れては消えるシーンにあって、ジャニス・イアンやジェニファー・ウォーンズ、フィービー・スノウ、ヴァレリー・カーター、ケイト・ウルフ…etc、といったシンガーはそれに次ぐ存在だったかもしれない(彼女らのアルバムもいつか紹介したいと思う)。浮き沈みの激しい人生だったかもしれないが、長く音楽活動を続け、多くの秀作を残したジャニス。ぜひ、この機会に彼女の名作に耳を傾けてほしい。

TEXT:片山 明

アルバム『Stars』

1974年発表作品

<収録曲>
1. Stars
2. The Man You Are in Me
3. Sweet Sympathy
4. Page Nine
5. Thankyous
6. Dance with Me
7. Without You
8. Jesse
9. You've Got Me on a String
10. Applause

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