ヤンバルクイナ、アマミノクロウサギ、イリオモテヤマネコ…。鹿児島県と沖縄県の「奄美大島、徳之島、沖縄島北部、西表島」の4島は、常緑樹林やマングローブ林の中に、絶滅の危機に瀕する95種の動植物が息づく、唯一無二の生態系だ。国内5件目の世界自然遺産に登録から、7月26日で1年を迎えた。
地元では観光客の増加による経済的な効果が期待されていた一方、多くの人が立ち入ると生態系が変化するのではと懸念されていた。新型コロナウイルス禍で観光客はそれほど増えなかったが、観光と環境保全の両立という課題に今後、どう向き合っていくか。(共同通信=高槻義隆、木下リラ、西山晃平)
▽「ツアー客が殺到しなくて良かった」
鹿児島県は世界自然遺産への登録を「追い風」と見込み、当初は年間延べ100万人の宿泊客を奄美群島の振興計画として目標に掲げていた。2019年には91万人に達したが、20年はコロナ禍で60万人と落ち込んだ。離島は医療体制が脆弱のため、PRも難しかった。
奄美大島でエコツアーを行う奄美ネイチャーセンターの高美喜男代表は打ち明けた。「結果的にツアー客が殺到しなかったのは良かった面もある」
観光客が自然遺産地域に立ち入り、動植物に影響が出るのを心配していたためだ。コロナ禍で来島者が激減した2年間を準備期間と捉え、「客が増えても分散して自然観察ができるよう、ガイド先の候補を探している」。
▽アマミノクロウサギの交通事故死、過去最多
生態系へのダメージは、登録前から懸念材料だった。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は登録に当たり、希少種の交通事故死の対策や、沖縄県・西表島における観光客の上限設定など四つの課題を指摘。日本政府に対し、今年12月までに報告するよう求めている。
環境省によると、2021年に交通事故死した絶滅危惧種アマミノクロウサギは、計73匹で過去最多だった。道路脇に動物侵入防止ネットを張るなどの対策をしているが、同省奄美野生生物保護センターの阿部慎太郎所長は「事故はなかなか減らない」と危惧している。2021年秋から、夜間に山あいの道を走る車の数を制限するルールも試行された。
▽目指すのは「量」より「質」の観光
地域の危機感も強い。奄美では官民連携で、自然遺産地域への立ち入り人数を制限した。一定の講習を修了した「認定ガイド」の同行を求めるルールも整備した。西表島でも昨年、観光客の管理や希少種保護を目的に、竹富町と観光団体などが「西表財団」を設立した。
貴重な自然を守り、いかに「持続可能な観光」を実現するか。鹿児島県PR観光課の廻秀仁課長は「一過性の盛り上がりにせず『量より質』の観光を目指す。自然や文化をじっくり味わってもらい、現地での消費行動にもつなげたい」と話した。
▽やんばるの森を撮り続けて44年
沖縄島北部「やんばる」は深緑の森が広がり、鳥の鳴き声が絶えず響き渡っている。44年にわたり森の生物をカメラに収めている写真家の湊和雄さん(63)=沖縄県西原町=は、その魅力を「豊富な固有種」だと話す。自然遺産登録をきっかけに、多種多様な森の生態系をもっと知ってもらいたいと訴える。
東京出身の湊さんと、やんばるの森の生き物との出会いは幼少期だった。学者だった祖父の部屋にあった昆虫図鑑。枯れ葉に擬態し、沖縄などに生息する希少種「コノハチョウ」に引かれた。小中学生の頃には、著名な戦争写真家ロバート・キャパに憧れ、昆虫写真家栗林慧さんの作品に「虫と同じ目線だ」と感銘を受け、写真家を志した。
1978年に琉球大に入り、専門・修士課程で昆虫生態学を専攻。81年にヤンバルクイナが、2年後にはヤンバルテナガコガネが新種として発見され、毎週のように森に通った。1990年代前半には、長年目撃例がなく、絶滅を懸念されたオキナワトゲネズミの撮影に成功し、世間を驚かせた。
一方で森の価値が理解されず、悔しい時期もあったという。1980年代、知床(北海道)では森林伐採が問題となった。しかし「やんばるでは、下草から全て刈った大規模伐採が起きていたのに、注目されなかった」。だからこそ、世界自然遺産への登録で知名度が高まり、森林破壊の抑止力になるのではないかと考えている。
沖縄県や有識者は現在、国内初の国立自然史博物館の沖縄誘致を目指している。湊さんは啓発活動の一環として、やんばるの森の動物や昆虫の写真展にも協力した。「誘致の実現で、森への理解がさらに深まり、保護につながる」と語った。
▽島ぐるみの自然保護
「奄美・沖縄」4島のうち、最も面積が小さいのが鹿児島県・徳之島。島唯一の自然保護団体、NPO法人「徳之島虹の会」は、地域住民や子どもたちへの環境教育に重点を置き、島ぐるみで自然や文化の継承を目指している。
昨年7月の世界自然遺産登録翌日、遺産の価値を体感しようと、会員や子どもたち約70人がガイドの案内で島南部の剥岳林道を歩いた。照葉樹林のトンネル、大きなドングリの実をつけるオキナワウラジロガシの群生―。森の中で万歳して登録を祝った。
徳之島虹の会の活動は幅広い。野生化したネコが絶滅危惧種アマミノクロウサギを捕食しないよう監視するとともに、希少動植物の盗掘防止パトロールにも従事する。
世界遺産になったことで来島者が増え、小さな島にかかる負荷を軽減するためにも、今後は自然保護の担い手の育成が課題になる。ガイド研修や小中学生への「出前授業」に力を入れ、島の多様な動植物を紹介している。
美延睦美事務局長は、住民らの自然保護への意識が研修や授業を通じて高まっているのを感じている。固有種が多い地域で、昆虫採集目的のトラップ(わな)が問題視されているが、発見して連絡をくれる人がいるという。活動を手伝いたいと言う若者もいる。政武文理事長は「豊かな自然こそ島の宝だと知った子どもらが、活動をつないでくれると思う」と期待を寄せた。